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2021年3月17日 (水)

なぜ合唱団はオーケストラの前に立ったのか①

去る3月某日、埼玉の某所において行われた演奏会において、

せっかくの記念年がパンデミックによってぶっ飛んでしまった作曲家の巨大なミサ曲を演奏しました。

その時の配置がこれです。

 

Photo_20210316235001 

全長36メートルの奥行を持つ舞台上に広がることおよそ30メートル、合唱の最前列からオーケストラの最後列までの距離です。

合唱団は当節を反映して全員マスクを着用し、左右1.5メートル、前後2メートルの間隔をあけました。

さらに市松模様に並んでいます。

したがって真後ろの歌手は4メートル後ろに居るということになりました。

合唱団の最後列とソリストも4メートルの距離を取り、オーケストラも同様に離れて座っています。

ソリストも横1.5メートル離れており、アルトとテノールの間にいる指揮者も1.5メートル離れている。

つまり、ソプラノソリストとバスのソリストは6メートル離れていることになります。

およそソーシャルディスタンスここに極めりと言わんばかりの配置ですが、本稿で検討したいのはそのことではありません。

本稿の主旨はタイトルにあるように、なぜ合唱団はオーケストラの前に立ったのかということでです。

そして、その理由は感染症対策ではないのです。

もちろん、オケの前に立つことによって、合唱団の飛沫は合唱団内での処理で済ませることが出来ます。

さすがにこの配置で危機感を持つオケ奏者は居ないません。もちろん、現状では大きな理由になります。

しかし本当の理由は、この配置が歴史的に正しいからです。

以下は1828年のパリでの配置です。Chef d'orchestre(指揮者)の左右に合唱団が配置されているのが分かります。

つまり、合唱団はオーケストラの前にいたのです

画像1

1828年と言えばベートーヴェンの死後1年です。

また以下は1844年のドレスデンでの配置です。

画像2

これもまた、合唱団がオーケストラの前、指揮者を挟むように配置されています。

周知のように、J.S.バッハのカンタータは合唱団によって歌われたわけではなく、4人のソリストが合唱の部分もソロの部分も歌っていました。

教会は小さく、音楽家が演奏する場所は狭く(お金もなかったし)、各パートに一人の奏者しかいませんでした。

そしてヨーロッパ中でこのような状態が普通だったのです。

日常的に大きな合唱団が演奏できるような大きな教会のほうが少なかったです。

つまり、歌手がオーケストラの前に立つことが当時の習慣だったのです。

そして、その習慣のまま時代が下るとともに合唱団は大型化していきました。

例えばハイドンの「天地創造」の初演は合唱団が60人いたことがわかっています。

大バッハには望むべくもなかったことでしょう。

また、1844年の別のドレスデンの団体の配置図では合唱団がオケの左右を挟むようにして配置されているものがあります。

図の大きさから合唱団の大きさがわかりますが、合唱団が肥大化しオーケストラと同じかそれより大きかったことが分かる資料です。

そしてこの合唱団の肥大化により、合唱団は19世紀も中葉を超えてからオーケストラの後ろに配置されるようになったのです。

指揮者を見やすくするための処置であったと思われます。

つまり、1820年代、つまりベートーヴェンのミサ・ソレムニスが初演された時代においては、

合唱団はオーケストラの前に立って歌うことが普通だったのです。

それはベートーヴェンにとっても普通のことだったのです。

 

では、実際にこの配置でやってみた結果、どのようなことが分かったのでしょうか。

それは次回に書くことにしますしょう。

 

2020年12月19日 (土)

前項の追記、B3をあのように解釈した決定的 な理由

B3の解説をもう少し丁寧にしたかったんですけども、ちょっと難しかったので、こちらでします。

すこしテクニカルなのですが、大体Bを教会として、それ以外を外界とした理由もB3にあります。

それは、それは402小節目にあるSub Pで始まる始まる印象的なDona nobis pacemがプラガル終止ということです。

第1転回形ではありますが、プラガル終止が4回歌われます。

プラガル終止はご存じのように古い教会音楽特有のものですね。

このことに気が付き、B123とそれ以外を分けて考えるようになりました。

そう思ったとき、この曲が、プラガル終止の後に、完全終止で終わっていることの意味がひらめきました。

結局外の世界の音楽で終わったと。

それでもです、お気づきかと思いますが、最後のプラガル終止(425小節から428小節)はフォルテで、

しかもコラパルテのオーケストラにはben marcatoと書いてあります。

これは教会音楽としてはおかしい。

このとき、分かったのですが、教会から外に出たのだと。やはり、教会に籠った音楽をベートーヴェンは書けなかったのだと。

オーケストラの最後の上昇音型は階段を上ってそとに走り出る若武者の姿が見えました。

なので、本当に第9の初演プログラムを再現したいのです。

そして、アンコールにSanctusとGloriaをやりましょう!

誰か一緒にこの夢をかなえませんか?

 

 

第九とミサ・ソレムニス、勿論ベートーヴェン の。


2020年はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが誕生して250年周年の記念年である。世界中で彼の曲が沢山演奏され、ここ日本でも、普段でも多いベートーヴェンが、ここぞとばかりに演奏されるはずだった。オケ付き合唱曲、第九や『ミサ・ソレムニス』、ちょっと渋い選曲としては『ハ長調ミサ』、マニアックなところでは、『オリーブ山のキリスト』、そして前プロに『合唱幻想曲』が増えるだろう、そう思っていた。どれもそれぞれに演奏する意義があり、色々な体験になると思っていたが、これらは殆ど全てが消し飛んでしまった。

さて、2020年も12月になり、少ないながらも第9が演奏されているのを見かけるようになった。それを横目に、筆者が今年、そして今こそ演奏してほしいベートーヴェン・プログラムについて思い出したので、記しておきたい。このプログラムは筆者が考える250周年の節目に演奏するのに真にふさわしいものと考える。3月に演奏が予定されていたが、コロナの影響でキャンセルされてしまった。

さて、それはどのようなプログラムであろうか。

それは第九の初演プログラムの再現である。

 献堂式序曲
 『ミサ・ソレムニス』よりKyrie、Credo、Agnus Dei
 交響曲第9番

以下では、上記のプログラムが相応しい理由を考察する。そのため、まず、ベートーヴェンに関するいくつかの事実を列挙し、そこから導き出されるベートーヴェン最晩年のメッセージは何かを考察し、第九の初演プログラムこそが、そのメッセージを伝えるのにベートーヴェンが周到に組んだものであることを主張したい。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年12月に、旧西ドイツの主都ボンで、生を受けた。もちろんベートーヴェンが生を受けた当時は、まだ、ドイツという国家はなく、大小300ともいわれる領邦国家に分かれており、各地域で独自の統治を行っていた。さて、幼いルイージが洗礼を受けたボンの教会は、聖レミギウス教会であった。そこはミノリーテン系の宗派、すなわち、アッシジの聖フランチェスコを始祖とする宗派だったという。この宗派は自然への愛好、人間同士の友愛、そして驚くべきことに、異教への寛容性も持ち合わせていた。ベートーヴェンは教会のオルガン奏者にあこがれ、自ら志願してそこで研修を積むほど教会や神、キリスト教に慣れ親しんで育ったのであった。そんなベートーヴェンが心血を注ぎ、足掛け4年もかけて1822年に書き上げたのが、『ミサ・ソレムニス』である。
『ミサ・ソレムニス』はベートーヴェンが、「自分の最高の作品」とした曲であり、その言にふさわしく長大であり、複雑なリズムと容赦のない高音、その次の瞬間には祈りの音楽が現れ、これでもかと人間の限界に挑んでくる、まったく挑戦的な曲である。また、キリエの冒頭にベートーヴェンが書き入れた以下の大変有名な言葉がある。

"Von Herzen ― möge es wieder ― zu Herzen gehen"(心から出で、願わくば再び、心へと至らんことを)

この何とも意味深な言葉は自筆譜のみに書かれており、その後の出版譜や筆写譜には書かれていないため、自分自身もしくはこの曲を献呈されたルドルフ大公に個人的に宛てたものと現在はされている。心から出て行ったのが何なのかが書いていないので、実際何を語っているのか分からない言葉であるが、これをキリエという、まさに最初の曲の冒頭のページに書き込んでいることは留意しておくべきであろう。
 さて、この「最大の曲」は、その複雑さが災いし、中々世間には受け入れられなかった。いくつか紹介しよう。

 「規模とメッセージの両面において規範を逸脱している」1828年。
「私はしばしばこの作品を通して考察したが、その度に驚きの目でみつめ、曇った気持ちで元に戻す」1832年。
 「ほとんど混乱ととり違え」1877年。

この曲の肯定的な評価が確立するのには、ワーグナーの登場を待たねばならなった。しかし、それでも、哲学者・社会学者のTh. W. アドルノによれば、「そうたやすく理解されるはずのない」(音楽社会学序説、89頁)曲とされている。
 以上のような批判を受けた『ミサ・ソレムニス』であるが、ベートーヴェン自身は、真の宗教音楽としてのミサを書いたと自負していた。「最近の宗教音楽はオペラと化してしまった」と吐き捨て、1807年に作曲したハ長調ミサ以後温めていた、「古い教会調」やアカペラを用いた「真の教会音楽」を作曲したのである。しかし興味深いことに、ベートーヴェンのミサ曲の作曲時期の日記には、バラモンやヴェーダなど異教の経典や、カントなどの哲学書からの引用などが書いてあり、ベートーヴェンの目指した神が、キリスト教の教えに存在する神を超越したような何かであったことが窺えるのである。ベートーヴェンという革新と挑戦の作曲家は、真であることを誠実に目指したために、伝統的規範から逸脱した巨大なミサを作曲したのである。
次に、ベートーヴェンは『ミサ・ソレムニス』をオラトリオとして演奏できるとしている。サンクト・ペテルブルクにおける初演においても「オラトリオ」として初演された。これには、外的な理由があった。まず、オラトリオのほうが、ミサ曲よりも演奏機会が多いことがあげられる。また、ベートーヴェンが住んでいた頃のウィーンでは、ミサのような教会で演奏されるべきジャンルの曲を教会の外で演奏することは禁止されていたので、この長大なミサが演奏されるためには、オラトリオと呼んだ方が都合よかったこともあるだろう。さて、ここが問題だ。なぜなら、演奏されるためにベートーヴェンが嘘をついたことになるからだ。本当だろうか?


 筆者は、ベートーヴェンが嘘をついたとは思っていない。筆者は、ミサ・ソレムニスをミサの典礼文でありながら、オラトリオのような物語がある曲として聞くことが可能だと考えている。詳細は後述するが、ここでは、第9初演時に演奏された3つの楽章を繋ぐことでそれは達成されるとだけ言っておきたい。
 さて、ベートーヴェンは同時に複数の曲を作曲するのを常としていた。『ミサ・ソレムニス』の時期は、他に何を作曲していたのであろうか。有名なところでは、最後の3つのピアノソナタがあるが、最も重要なのは、交響曲第9番、そう、『第九』である。『第九』と『ミサ・ソレムニス』は並行して作曲されていた。あまり語られることは無いが、ベートーヴェンは最初第九の終楽章として全く別の曲を作曲しており、それが完成していたら、合唱無しの崇高な交響曲となっていただろう。しかしベートーヴェン何故か元々の構想を破棄してまで、合唱付きの第4楽章を作曲したのである。その理由はなんであったのか?

 周知のように、ベートーヴェンは若いころからシラーの歌詞を溺愛しており、いつかこの歌詞に作曲をしようと思っていた。第九はイギリスからの依頼で作曲していたので(交響曲2曲の依頼)、カンタータなり、オラトリオとして別途作曲して、セットで売り込んでも良かったはずである。しかし、わざわざ自らが書いた40分以上の素晴らしい音楽を「おお、友よ、こんな調べではない」などという自己否定をしてまで、シラーの歌詞を、使いたくなったインパルス、それは一体何であったのだろうか?

 ベートーヴェンがカンタータとして作曲せず、交響曲に拘った理由に、当時ドイツ観念論の哲学者達による交響曲論の影響があったと思われる。カントを読むような人間なので、当然知っていたと思われる。それは、誤解を恐れずに端的に書けば、以下のようになるだろう。

交響曲はあらゆる政治的・言語的境界を超えた、ひとつのコスモポリタン国家を表象しており、多様なものすべてが理想的に調和する社会を音響で表している。それは、大規模な合唱作品のように、「人間性の普遍性」が見えてくる、すなわち、個別のものが溶解し、ひとつとなるものである。

上記のように、交響曲は全人類の理想郷、ユートピアの表象であるとされていた。従って、そこに人類愛を説く歌詞をいれ、第4楽章をあたかもカンタータのようにすること自体には、理念上の矛盾はなかったし、むしろこの場合は正しい選択であったように思われる。

 次に、第九において注目したいのはベートーヴェンが、シラーの詩を全部そのまま使ったわけではなく、好きなように選びつつ、順番も変えていることである。これはベートーヴェンが言いたいことをより効果的に伝わるように選んだわけであるが、興味深いことに、この人類愛を歌う詩にそぐわないとして当時から批判されていた箇所が選ばれている。

Ja, wer auch nur eine Seele
そうだ、たとえたったひとつの魂(1人)であっても
Sein nennt auf dem Erdenrund!
自分のものと呼べる人が世界の中にあるのならば!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
そしてそれができないものは、
Weinend sich aus diesem Bund!
涙しながらこの集まりの外へそっと出ていくがいい。

人類皆兄弟ではなかったのか?この箇所は、この人類賛歌に暗い影を落とすとして、当時もシラーは批判され、削除すべきと言われていた箇所である。何故この部分が必要だったのだろうか。残念ながらこれについて歴史的資料は沈黙している。しかし、筆者はこの部分こそベートーヴェンのメッセージが端的に表れている箇所だと考えており、この問に答えることが、第九の初演のプログラムの意味を解き明かすと考えているが、その答えは、あくまで推論となる。そのことを踏まえたうえで、以下、まず、ここまでに出た事実を振り返り、第九の初演のプログラムにもう一度立ち返り、筆者の推論を展開したい。

事実1:ベートーヴェンは、自然への愛好、人間同士の友愛、異教への寛容性も持つ敬虔なクリスチャンであった。
事実2:「心から出で、願わくば再び、心へと至らんことを」を曲の冒頭に書き込み、何らかのメッセージを想定した。
事実3:『ミサ・ソレムニス』はオラトリオとして演奏可能
事実4:交響曲に理想国家の表象であるとされていたので、合唱を加えて、人類愛を語るのに最高のジャンルであった。
事実5:シラー詩から、当時批判があった箇所を採用した。

次に、第九の初演のプログラムをもう一度記す。

 献堂式序曲
 『ミサ・ソレムニス』よりKyrie、Credo、Agnus Dei
 交響曲第9番

なかなか長大なプログラムであり、オケにとっても歌手にとってもタフで挑戦的であるが、前半のミサ・ソレムニス抜粋および第9の最後で合唱がでてくることから、これ聴いた当時の聴衆は、大変に長いオラトリオを聞いたような印象があったであろう。しかし、聴衆の受容はここでは追求しない。

 では、まず、何故、『ミサ・ソレムニス』から、上記の3つが選ばれたのか考察したい。実は、この演奏会は『ミサ・ソレムニス』のウィーン初演でもあった。であれば、全体を演奏したいはずである。その真の姿は省かれた2つの楽章もあってのことだからである。しかし、ベートーヴェンはKyrie、Credo、そしてAgnus Deiを選んだ。それはこの3つを持ってオラトリオとしての物語が形成されるからだと筆者は考えている。

Kyrie(主よ、憐れんでください)、                 

Credo, credo in unum Deum(わたしは信じる、信じる、ひとつの神を)、

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis(神の小羊、世の罪を取り去る方、憐れんでください、わたしたちを)、

そして最後は、dona pacem, pacem(与えてください、平和を、平和を)。

Kyrieの冒頭を聞いてほしい。力強いファンファーレが鳴り響いたあと、なんと厳かな音楽だろう。ゆったりした歩み。まるで神が遠くから民衆の前に歩んでくるようである。ほんのりと気分が高ぶり、合唱が入る。ファンファーレと同じ音型で「主よ!(Kyrie)」。そして、この「主よ」という呼びかけを3度繰り返すのである。ここで大事なのは、本来これはKyrie eleison(主よ、憐れんでください)という1文なのである。ベートーヴェンはそれをKyrie単体で3回歌わせたのだ。目の前に歩んできた神に向かって叫んだのである。

中間部では、Kyrieの部分がChriste『キリストよ』に変わり、若干テンポが速くなる。短い中間であるが、ここで強弱は小さくなり、『憐れんでください』という祈りへの想いは、ささやくように指定されているようだ。それは当時としては圧倒的に珍しいPPPの使用をみても明白であろう。しかし、祈り心の大きさは逆説的に大きくなるようだ。PPPの直後に再び『主よ』の部分に戻る、一人祈りに落ちていったベートーヴェンが我に帰ったかのように。この楽章は最後に落ち着いて楽章を閉じるのだが、その直前のKyrie eleisonに与えれればリズムと強弱が完全に単語の持っている強弱から逸脱しており、非常に不自然な書かれ方がされている。これは何を意味するのだろうか。神への不信か、それとも自身の自信の無さの現れだろうか。

神を賛美するGloriaは省かれている。はっきり言ってGloriaはベートーヴェンが書いた華々しい曲のなかで屈指の出来栄えであり、この楽章だけブラボーをもらうのは間違いがない。にもかかわらず、晴れのウィーン初演で省いたのである。さて次の楽章はCredoである。

 CredoもGloriaに負けず劣らずパワフルな曲だが、その構成ははるかに複雑でドラマティックであり、まさに破格という言葉が相応しい楽章となっている。また、歌詞に呼応した描写および心理表現がたくみである。細かく分けられたセクションを大きく纏めれば、覇気に満ちた前半部、鎮痛なキリストの死を表す中間部、そして復活の喜びに満ちた部分の3部に分けることが出来るだろう。各セクションのキャラクターの違い、その表現の違いに注目されたいが、特に第3部の2つの壮大なフーガはベートーヴェンの作曲した全てのなかでも特筆に値する壮麗なものである。

 Credoとは、私は神を信じますという意味である。その流れで神を讃えるというのが第1部となる。録音を聞いていると分からないのだが、楽譜に無数の強弱記号がありベートーヴェンが演奏するにあたってどれだけの要求をしているのかがうかがえる。まるで歌曲を一人で歌うときに名歌手がするであろうことを全部記載したかのような細かさである。一聴この楽章が壮大なだけに聞こえるが、それはベートーヴェンの指定を守るのがどれだけ至難の業であるかの証左である。

 さて、中間部は短いが鎮痛なキリストの死を表す部分である。ここではベートーヴェンの「語り」に注目したい。それはetが2回アカペラで歌われる179小節と180小節である。etは「そして」という意味である。英語ならandですね。このetをその前後と合わせると、passus, et sepultus est.となり、意味は苦しみを受け(Passus)、そして(et)、葬られた(sepultus)、となる。ベートーヴェンはここで歌詞を以下のように繰り返す。

passus, passus, passus et sepultus est. et et sepultus. et sepultus est                  crescendo------f---dim-p-dim--------- pp-------------p------------pp

 強弱の指示を付けてみると分かるが、苦しみ(Passus)の間はどんどん音量が大きくなり、最初のそして葬られたの箇所でストンと弱くなる。それに続くのは、etである。上記を日本語にしてみるとこんな感じだろか。

苦しみ、苦しみ!苦しみ!!!そして葬られたんだ。         そして、、、そして、、、葬られたんだ。

この文章を上記のダイナミクスを取り入れて朗読していただければ、これがどれほどドラマティックであるか感じていただけると思う。そして、ベートーヴェンが合唱に対してどれほど細かいニュアンスを求めていたかを。

 そして曲はこの直後一変する。キリストが復活するからだ。ここからの音楽は、筆者には喜び全開で、飲めや歌えの大騒ぎであり、踊りあかすような大パーティーのように感じている。特に有名かつ最難関である2重フーガは、Et vitam venturi saeculi Amen、そして来世を待ち望む、というたったこれだけの歌詞で、いや、まあ聞いてください。乾杯しているのが目に浮かびますから。

 さて、これほどの大騒ぎをして喜んだはずなに、Agnus Deiの冒頭は深い恐怖をいだいた男(バス)が「我らをあわれみたまえ」と歌います。本来ならこの楽章前にSanctusが歌われるのが通常のミサなのだが、これも割愛されてしまう。因みに、ミサ・ソレムニスのSanctusはこれまたベートーヴェンが書いた緩徐楽章としては屈指の出来映えであり、本当に美しい。Gloriaといい、Sanctusといい、やればこれだけで拍手喝采となる楽章は容赦なく省かれたのが第9の初演プログラムなのだ。

 Agnus Deiは6つセクションに分けられ、以下のように表すことが出来る:A-B1-C-B2-D-B3。BセクションのDona Nobis Pacem(平和をお与えください)が3回繰り返されるのが特徴的である。Aセクションは、ゆったりとしたテンポのなか、バスのソロが『神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、我らをあわれみたまえ』と歌うが、懇願するその様は、キリエの時よりも重く、暗く、ベートーヴェンの中にある平和への希求が非常に強く表出されている。Bセクションは天上の安らぎのなか平和への祈りを歌う。Cセクションは短いが戦争を思わせるようなトランペットのファンファーレ伴いながら、ソリストにはängstlich(怒ったように)に歌うように指示がある。すぐにB2が現れ再び平和への祈りが始まる。Dはフガートで始まるが、すぐにCよりも明確に闘争の音楽に変わり、苦悩する半音階をへて合唱が神を呼び、平和をと叫ぶ。それはB3に回収されるが、Bの前半は割愛され、後半の群衆的な叫びの部分が強調される。そして、音楽は静まっていき、終わろうとする刹那に、遠くから、かすかに、しかし確実に戦争の音が聞こえるのである。全曲はそれを振り払うかのように力強く結ばれる。

 さて、ここでこの曲を知ってる人間なら知っているある問題がある。それは、この楽章の締めくくりがかなり唐突で、ベートーヴェンらしいスカッとした終わりになっていないことである。いまいち、座りが悪いのである。筆者も最初はそのように思っていた。しかし、上述したような作曲期間中の事実を知るにあたり、ある結論にたどり着いた。このエンディングは開かれている。つまり、To be continuedなのである。いや、ある意味ではちゃんと終わっている。しかし、スピンオフがあるのだ。それについて検討するまえに、Agnus Dei全体の構成に立ち返り、この楽章のドラマ性を確認しよう。

 ポイントはBの世界とそれ以外の世界という2重構造である。B1,2,3ではDona Nobis Pacem(平和をください)と祈りを歌うが、その他の部分は(あわれみたまえ)を歌うのである。つまり、憐れんでくださいー平和をくださいの繰り返しである。しかしBの部分は基本的にそこに戻ってきていることがわかるように拍子もテンポも統一している。それはある固定された場所を表しているようだ。そう教会のような。他の部分はそうした統一性は無い。筆者には、それが教会の外の状況のように思える。そのように考えたとき、Agnus Deiは以下のようなNarrativeが浮かび上がる。

A:バスのソリストが憐れみたまえと言いながら、外から教会へ入ってく。

B1:教会のなかで信者たちが平和を与えてくださいと歌う。

C: 再び外のシーンで、教会に入ってしまったバス以外のソリストが、怒ったように憐れみたまえと歌う。ここでは戦闘的なトランペットとTimpが印象深く鳴る。

B2:再び教会の中。平和を与えてくださいと歌う

D:楽器陣による半音階と再びトランペットとティンパニが登場し、こんどは嵐のように鳴り響く。

B3:再び教会の中。平和を与えてくださいと歌い、救済が来たか?と思わせるように静かになるが、突然音楽は停止して、timpの不規則なリズムによるソロになる。これは2度繰り返されるが、2度目のリズムは1回目よりさらに不規則でり、かつ、より小さく演奏される。打楽器にPPでソロを与えると言う破天荒さ。しかしそれは破天荒というより、聴き手に混乱を与えるのである。誰もが迷うのである、このtimpには何を意味しているのかと。このあともう一度平和をと合唱が歌ったあと、音楽は唐突にffになり、上昇音型とともに、終わる。

さて、B3はいったい何を表しているのであろうか。結論から書こう。筆者は、この楽章の最後にAでソロを歌ったバスが決心して教会から「力強く」飛びだしていったところで終わったのだと思っている。そしてそのバスは、「おお友よ!そんな調べではない!」と力強く歌うのである、そうあの第九の第4楽章で!

 今直感的にこの繋がりが分かったあなた人、居るよね?ベートーヴェンが生きた時代は、フランス革命の時代であった。ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位したときに、献呈予定であった第3交響曲の表紙を破りすてたという有名な逸話があるように、ベートーヴェンにとって、人類の平和は、異教徒すらも寛容を持って受け入れる精神で希求すべきものであった。
しかし、それは、神にお願いをすれば与えられるものと、ベートーヴェンは果たして思っていたのだろうか。私は、否、であったろうと思う。だからこそ、『ミサ・ソレムニス』が完成する頃に歓喜の歌を使用して作曲しなければならなかったのだろう。ベートーヴェンは、神を信じつつ、平和自体は、それだけでは決してなしえない。それには、人間が主体的に動かなければならないと思っていたのだろう。だからこそ、Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!の部分が必要だったのである。平和は、神の助けを得ながらも、能動的にそれに向かって動かなければならないのである。単に、人類皆兄弟と言っているわけではないのである。ベートーヴェンはミサ曲に物語を持たせオラトリオ化しつつ、第九に理想の国家像を表象させ、その初演においては、『ミサ・ソレムニス』から続く物語を、第九で完結させるため、前プロにミサ曲から最も壮麗なGloriaと美しいSanctusを省き、この3つの楽章を選んだのである。これにより、ベートーヴェンのメッセージは明白であろう。それは、以下のように言うことが出来るだろう。

祈って待っているだけではダメだ、(キリスト者も、イスラム者も、仏教も、神道も、バラモンも)一致団結して進もう、平和を作るのは、我々人類なのだから。

以上、ベートーヴェンのメッセージは第九と『ミサ・ソレムニス』の組み合わせである第九初演プログラムをやることで明白となることが分かった。すなわち、2020年の生誕250周年にやるにもっとも相応しいのは、第9初演プログラムの再現なのであり、このメッセージこそ、今世界に向けて発信する意義あると筆者は信じる。


 

2020年11月12日 (木)

11月3日は演奏会だった

11月3日は演奏会でした。

本来ならハイドン コレギウム創立10周年を祝う演奏会でしたが、今年の演奏会2回がキャンセルされ、

現状では合唱を入れる演奏会は出来そうもないので、第19回演奏会として、プレイヤーズだけで演奏しました。

場所は、タワーホール船堀。有難いことに、ソーシャルディスタンスを保てる十分な広さのステージを使用することが出来ました。

本来なら創立10周年なので合唱を入れる予定だったのでした。だからホールが、ステージが大きかったのです。

それが今回は不幸中の幸いというのか、功を奏しました。

プログラムは以下のとおり。

F.J.ハイドン 交響曲第42番 ニ長調
F.J.ハイドン 交響曲第43番 変ホ長調
F.J.ハイドン 交響曲第64番 イ長調

1曲ごとに休憩を入れて換気をしたので、2度の休憩がありました。

そうすると演奏会全体が長くなるので、3曲が限界というところでした。

でもそれがよかった。

演奏は、気心がしれた仲間と、時間をかけて練習したからこそできたような素晴らしいものでした。

私は演奏中に即興的に動くのだけれど、それにばっちり答えてくれました。

繊細なシーンで、激しいシーンで。

ライブのだいご味です。

以下はステージ側からの映像なので、音響的にはよくないけれど、

オケの繊細な反応は分かるんじゃないかな。

42番

64番

43番

正直コロナ禍に入って、音楽は廃業かなぁぁぁと思っていたけれど、

こうしてライブのすばらしさを経験出来て、ステージ上で感動していました。

記憶に残る、特別演奏会となりました。

D.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月31日 (土)

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスを想う

長年疑問に思っていたけれど、当然こうなるよねと思っていただけで、ろくに調べもせず、ましてや、友人である素晴らしい学者諸氏にすらもきくことがなかったある疑問が、ひょんなところで解決した。

 今や常識となった(よね?)と言える、バッハなどのルター派の教会音楽におけるconcertistrepienistの演奏習慣が、カトリック音楽圏に於いてどうだったのかという疑問である。

 答えは、やはり同じ演奏習慣があったということである。それは記念年よろしくということで演奏され、、たはずだったハ長調ミサ曲のスコアの校訂報告の一部に書かれていた。ベーレンライターから出版されたものである。

Thanks.

 上述したように、私はそれを当然そうだったであろうと思っていた。何故ならば、協奏曲を演奏する時の演奏習慣がConcertistRipienistの原理と全く同じだからである。すなわち、ヴァイオリン協奏曲に於いては、ヴァイオリンのソリストは、tuttiで演奏するヴァイオリン・パートも弾くのである。だから合唱でやってもおかしくはないと思っていた。だから、自分と合唱曲をやったソリストは知っているが、必ず最後の合唱部分をソリストにも歌ってもらっている。

 しかしだ、しかしだよ、そうなるとだなぁ、ミサ・ソレムニスのソロ・パートっていうものに対して持ってるイメージはかなり変えないといけないのではないかと思うわけだ。何故ならば、それを歌っているのはソリストでなく、合唱団員だからだ。多分パート・リーダーとかだったんだろう。そうなるとどうなる???

 いや、ここはまず自分の思考を順を追って回想しようじゃないか。

 まず考えたのは、実はコンチェルティストとリピエーノの習慣が広まらない理由だった。ソリストが歌いっぱなしになるから負担が大きいとか、色々あるんと思うんだけど、結局のところ音楽音響的に必ずしもプラスにならないからだと思う。ソリストがソリスト然として合唱に入ったら統一感を破壊しかねないし、邪魔しないように合唱然として歌うなら、いらねんじゃね?ってなるからだよ。

これはさ、協奏曲でも、おんなじなんだよね。つまり、あんまり意味がないんだよね。

いや、でもね、これ逆なんだと気がついた。

 ソリストが合唱に入るんじゃあない。合唱団員がソロのパートを歌うんだ。これはかなり違うぞ。我々数多の録音と実演によってソロ・パートはソリストが歌うもんだも思ってきたが、実はそうではなかったんだな。これは音響的イメージがかなり変わる。

 ベートーヴェンは真正のミサ曲を書くことに拘っていた。19世紀にセシリア運動があった。モーツァルトやハイドンの書いたアリアがあるミサ曲はオペラ的であり、世俗的すぎるので、教会音楽として相応しくないとして否定的な評価を受けていた。ミサ・ソレムニスはそのありとあらゆる意味で大きな姿が教会音楽には相応しくないと言われていても、そこには神への敬虔な想いがあると認める人たちもいたのだ。これは、世俗的だという評価とは全く違う。

 話を、ミサ・ソレムニスそのものに戻す。では、合唱団員がソロ・パートを歌うということは実際にはどういうことなのか。それはつまりもっと素朴なのだったということではないだろうか?僕たちはここで、そうここでまた、見るのだ、19世紀ロマン派の音楽感に毒されたベートーヴェン演奏の影響を!巨大なものはより大きく、より華々しく!

 ベートーヴェンがミサ・ソレムニスにおいて、人間を超越した神を表そうとして、いかさま拡大した要求と表現をしていることは誰しも認めるだろう。しかし、我々は本当に敬虔な者の音楽感に沿ってこの曲について考えたことがあるだろうか?一度、いや何度でも、教会音楽としての、敬虔な者の書いた真正の教会音楽として考えてみると違う姿が見えて来ないだろうか?



2020年8月29日 (土)

響け歓喜の声!

来る9月5日(土)、武蔵小金井宮地楽器ホールにて、演奏会に出演します。

第9を、歓喜の歌を指揮します。

緊急事態宣言後、日本で最初の、いや、多分世界でも最初の第9演奏ではないでしょうか。

認定NPO法人おんがくの共同作業場の郡司先生が考案したシンガーシールドや、

他の感染症対策を施して、万全の演奏です。600人収容ホールで200人しかいれません。

是非安心してお越しください。

東京ライエンコーア練習風景

 

演奏会に関しては下記

認定NPO法人おんがくの共同作業場

Alle Menschen werden Brüder 

すべての人は兄弟となる。

上記は第9最大のメッセージですが、すべての人は兄弟「である」とは言っていません。

兄弟「になる」と言っています。

この違いは大きいです。

でも、なることは出来るんです。

是非第9のメッセージに浸っていただけたら幸いです。

 

右近

 

 

 

 

 

2015年9月11日 (金)

踊ってみた: パスピエ

ダンスの授業はパスピエもやりました。テンポが速くてとてもとてもついていけません(笑)

ただ、ステップは基本メヌエットと同じで、全体の動きが違います。
さて、先生から「ちょっと遅めの演奏に合わせて練習しましょう」の声で、CDに合わせて練習。
ちょっとしてから、「実際にはこれくらいね」と言われて、速いテンポのものが!
足も頭もこんがらがって全くダメでしたが、ヘミオラが出てきました。
メヌエットには殆どヘミオラはないので、突然ステップと合わない音楽が来て、ビックリすると同時に、身体と音楽のシンクロしなさ加減で気持ち悪くなりました。
さて、当然ヘミオラ用のステップを教えてくれるかな?と思ったら、一言、「ヘミオラ用のステップなんて無いは。」

私「かなり気持ち悪いのですが」

先生「そうね、それがバロックダンスというものよ。音楽とダンスは衝突するのよ。それが良いのよ!」

バロックとは、歪んだ真珠って意味でしたねぇ。

先生「ヘミオラに親和性の高いステップはあるよ、ただし、ヘミオラ用ではない。間違えないように」

ということでした。

夜は先生がバロックオケの伴奏でフォルラーヌを実演。細かい音が沢山あり、奮闘しているオケに対して「もっと速く」と要求し、見た目には鷹揚なステップをする先生を見て、こういうconflictもあるのねと、
妙に感心した日でした。

2015年9月10日 (木)

踊ってみた: メヌエット

バロック音楽は、ダンスミュージックと言っても良いくらい沢山の舞曲があります。そして、ダンスのタイトルがついていなくても、あるダンス特有の音形やらなんやらで構成された曲も沢山あります。その場合は、ほのめかされているダンスがどのダンスかを特定すれば、テンポやフレーズの構成等を決めるときの参考になります。
その手のことを知識として知ることが出来る本は、出版されていますから、私も昔は読んで、知識として知っています。

ダンスとバッハの音楽

しかし今日に至るまで、実際にステップを踏んだことはありませんでした。
今日教えていただいたのは、
メヌエットとパスピエ。
メヌエットのテンポを速くするとパスピエになると言うと語弊があるかもしれませんが、超基本ステップが同じということもあり、その関連性も理解出来ました。

さて、私はクラブにすら行ったことがありませんから、

踊れませんw

が、兎に角習いました。
そして、団体レッスンでしたので、
みんなでクープランあたりのメヌエットで繰り返しステップを踏みました。一応残されている振り付けの絵を基にして、先生が2人1組で踊ってもくれました。

なんともいえない優雅さ。
お互いが見つめ合ったまま手に手をとって踊る姿は、見ていてちょっと気恥ずかしくなるくらいでした。
不思議な経験。

さて、今回実際にステップしてみて、メヌエットのフレーズ構造が、ようやく腑に落ちました。
メヌエットは3拍子で記譜されるわけですが、必ず2小節フレーズであると読んで知っていました。つまり、6拍でワン・フレーズ。
しかし実際に演奏してみると、そこまで2小節フレーズを感じないことが度々ありました。
しかし、ステップのサイクルが6拍と言うか、6つのモーションで1サイクルなのです。ステップをしている最中は、123、223ではなく、123456と数えていないと混乱してダメでした。
基本爪先立ちして歩くのですが、踵を降ろす時があります。
それが、2と6なのです。
2と5なら123、223でシンメトリーになるので簡単だと思うのですが、
この不規則性を持った規則的なステップがフレーズを嫌でも2小節にするのです。
この事を身体的に理解できたことは、大きな発見でした。
皆さんも踊って見ると新しい発見があるのではないかな?

2015年7月28日 (火)

マーラー「大地の歌」について

大地の歌かぁ。

8月15日に演奏会をすることが決まり、ダン・フォレストの「生けるもののためのレクイエム」が最初に決まった。カップリングの曲で真っ先に思いついたのは、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」だった。演奏会の副題は「こんなピエロに誰がした!」だった。郡司先生からは即座に却下されたが、今でもいい企画だと思っている。ただ、過激なのも理解できるので、これはしょうがないと納得したものの、ここから選曲に大いに悩むことになった。原因のひとつは、浜離宮朝日ホールの舞台が小さいことだ。編成が大きい曲は出来ない。ラターのレクイエムなど小さい編成のものもあるが、レクイエム2曲というのはちょっとなぁと思い悩みながら、ある日突然大阪に行くことになった。用事を済ませ、余った時間で大阪の有名楽譜書店に行ってみた。ここで見つけてしまったのだ、「大地の歌」(シェーンベルク編)を。その存在は知っていたが、録音を聞いたこともなかった編曲。大判のスコアを立ち読みしながら、どうすべきか悩んでいた。オケは小さいとはいえ、レクイエムよりは大きい。あまり贅沢なことはしたくない。そんなこともプログラミングでは重要だ。悩んだ末とりあえず購入し、東京に持ち帰った。
 まずあらためて歌詞を読んだ。正直どう考えるべきか当初は分からなかったことを告白しておこう。
どうも世間で言われてるほどには人生の空しさや、無常観、厭世感、憧憬、別離等、およそ人生の儚さ、無意味さを感じなかったからだ。はて…
とにかく聴き始めた。そしてぶっ飛んでしまった。
咆哮する管楽器、叫び続けるテナー、荒ぶる憤りの嵐のような第1楽章。「暗闇なのだ、生は、死は」というテーゼ。
そして彷徨える寂寥感で満たされた第2楽章。このコントラストは強烈だ。

第3〜4楽章は、打って変わって穏やかで、暖かい歌詞の歌となるが、最初のふたつの楽章を聴いた後では、このさらなるコントラストにどう対処すべきだろうか?どんなに明るく、どんなにロマンスを仄めかしても、それは過ぎ去った過去であり、美しい思い出であっても、今に繋がっていない。美しければ美しいほど、痛みが増すというパラドックスだ。

第5曲は、酒が戻ってくる。やけを起こした呑んだくれの歌は、微妙な明暗を持っている。全体としては軽いのだが、それがいつの間にかなんとも言えない微妙な色調を持って鳴り響く。世界観が第3、第4よりも現在に近い感じがする。それはあたかも次楽章への長い序章のようでもあるし、第1楽章への精神的再現部でもあるかも知れない。

そして長大なAbschied。
第2楽章の孤独な者との関連性を私は感じざるを得ない。してみると、
この曲は、
第1、第2によるペア(Aセクション)、第3、第4によるペア(Bセクション)、第5、第6によるペア(A'セクション)で構成されていると言えようか。
さらに、各楽章の主旋律は、第1の主旋律の音程関係との類似が多いことから、Bセクションを展開部と考え、A'は再現部とすることが可能かもしれない。
こうなると長大な第6は実はふたつの詩で構成されており、最後の詩の部分はすべてを解決するコーダとすべきかもしれない。
従ってこの60分を超える曲は、ひとつの、長いソナタ形式ということになるかもしれない。
閑話休題、abschiedについてだった。この楽章の目的は何だろうか?上記したような意味におけるすべてを解決する楽章なのだろうか?正直言って、それは分からない。残念ながら、マーラーは、明確な答えを与えてくれない。最後の和音が通常の意味での解決和音でもなく、永遠(ewig)に繰り返され終わることなく、何度でも戻ってくる(永遠回帰)のように、終わります。
マーラーは、この曲の初演を聴かずに亡くなってしまいますが、初演を指揮したヴァルターに向かってこう言ったそうです、「この曲を聴いたら自殺者がでるのではないだろうか」と。

大地の歌: 神崎正英氏による歌詞対訳

2015年7月27日 (月)

解説: 生者のためのレクイエム

以下は、
作曲家ダン・フォレスト氏のホームページ(danforrest.com)に掲載されている彼のRequiem fro the Livingの解説の抜粋翻訳である。抜粋箇所は、本ブログの筆者が任意で行った。翻訳のミスや、稚拙な日本語はすべて筆者に起因する。


全体としてこの曲は死者だけでなく生者にも安息(レクイエム)を求める祈りです。それは、「彼らに安息をお与えください」というよりも、「我らに安息をお与えください」、ということです。
曲全体は冒頭に提示される3つの音で構成されるモチーフによって強く繋がっています。例えば、第1楽章の展開部の基礎となっていますし、第2楽章(歌詞は用いていないものの、伝統的なDies Iraeを暗示しています)の伴奏形の音素材や、第4楽章の冒頭(明白ですね!)、そして下降音型がもう1音先に行き、目的地/ゴール(もしくは安息という言葉が望まれるかもしれませんが)に向かい始めます。第5楽章の再現部にあたる部分もこのモチーフで満たされますが、最後の最後にこの3音モチーフは下降せず、上昇する動きを見せます。それはあたかも、天国に到着したかのように。

第1楽章は、Requiem(安息)とKyrie(憐れみ)を求め祈る者の嘆きを吐き出しています。
存在する人類全てに共通する悲しみと格闘する嘆きを正面から見つめています。


第2楽章は、我々がいつも戦っている痛みの問題を身を切るように激しく表しています。痛みは、多くの人々の信念や信仰に危機をもたらしますが、
この楽章は、「何とむなしいことか、すべてはむなしい」という(旧約聖書の中の)伝道の書を反復し、怒りと苦しみの意味を解き明かします。
中間部はヨブ記を引用します。ヨブは聖書に現れる人物の中で、痛みの問題における最高の例です。それは彼が、その最も暗い(辛い)時には、「生てこなければ良かった」とさえ言ってしまうからです。

第3楽章は、伝統的な順番から逸脱して、Agnus Deiです。曲全体が持つストーリー性において、ここで私は、(前2楽章で示された)嘆き、痛み、崩壊などの全ての失敗から人類を自由にしてくれる神の小羊と出会う必要があるからです。

このストーリーに於いては、やはり神の小羊を認識した後で、遂にSanctusに向かえます。通常の典礼における順番では、SanctusはAgnus Deiの前奏曲となりますが、ここでは、返事となります。興味深いことに、この意味において、「天国と地球(大地)はあなたの栄光で満たされています」という歌詞を単に礼拝の瞬間としてだけでなく、痛みの問題に対する1つの聖なる解答として見るのです。もう1度ヨブ記を見てみましょう。痛みの問題に対する神の返答は、文字通り、「見なさい、私の創造の仕事を、私の超越するパワーと荘厳を!」です。
そして当然ヨブは、それを認識することによって、謙虚な気持ちを持ちます。ですから、ボーカルスコアのこの楽章の頭のところに、ヨブ記38章からの引用を載せました、「私が地の基礎を定めた時に、お前は何処にいたのか?…中略…星々が共に歌い喜んだ時に?」
というわけで、もうお分りかと思いますが、この楽章は天と地の奇跡(pleni sunt caeli et terra gloria tua)を痛みの問題に対する聖なる答えとして表現しています。私がSanctusのテキストにつけた音楽は、文字通り神の驚嘆すべき栄光を3つの場所で描写しています、すなわち、宇宙(ハッブル宇宙望遠鏡による超深宇宙領域の写真からインスピレーションを受けました)、宇宙を周回している国際宇宙ステーションから見た地球(YouTubeにある素晴らしい光(都市の、国の、河の、嵐など)の映像の数々!)、そして最後に人、神の驚嘆すべきイメージであり、天国の全ての奇跡よりも更に直接的に神の栄光を証明する人類です。
上記3つの思考が、この楽章の3つのセクションの源泉です。ハッブル写真のように霊妙なセクション、それから、「地球に降りてきて」で始まるもっと暖かいセクション、動きを伴いながら徐々に荘厳なっていきます。そしてそれから賑やかなエネルギーの最終セクション、生とメトロポリスのエネルギーに満ちた都市の中心に降り立ちます。そこにいるのは、神のイメージであり、天国そのものより偉大な神の創造物である人間なのです。

終楽章は端的に言って、安息や平和への到達になります。神からの永遠の光が、神を求める者に与えられるというだけでなく、今、ここで、この地球に生きる我々、生きとし生けるもののための安息(我らのレクイエム)が、神の中に見つけられるのです。私は意識してマタイ伝11章28節を引用しました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
なぜなら、これが入祭唱における安息の祈りへの答えだからです。キリストこそが、我々の安息であると。
そのために、英単語の「rest」と「Requiem」が同時に歌われるようにしました。スコアでご確認いただくか、演奏の時に聞いてください。テノーソロの終わりとともに合唱が、Requiem aeternamとラテン語で再び歌いだす箇所です。
そして言うまでもないことかもしれませんが、オーケストラの最後の上昇する3音はメタ動機であり、安息への祈りに対する音楽による最終的な答えです。そう、見つけたのです。遂に扉は開かれたのです。

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