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2008年2月

2008年2月19日 (火)

シュテュットガルト放響定期演奏会1

ネタが古いのはご勘弁を。

2007-2008の第一回目の定期について。

Bred Dean作曲、作曲者演奏による無伴奏ビオラソロの小品で幕を開けた今シーズン。一曲目がソロという破天荒さが私は好きだ。

曲は無調ではあるが、ドラマの構成がよく分かる。またモチーフが最初は単なる短2度だったのが曲の最後で長2度になり、ちょっとした解決感があった。もとベルリン・フィルのビオラ奏者だった彼は楽器を熟知しているだけに、効果的に書かれていようだ。

2曲目はDeanのソロでHindemithDer Schwanendreher (1935). Concerto for Viola and Small Orchestra on Old Folk Songs. C.Ed. III, 4.

ヒンデミットらしい理知的な曲で、民謡が見事にちょっと難解な曲に変身していました。

最後はチャイコフスキーの第5番交響曲。

弦が16-14-12-10-8という大編成の為、19世紀の習慣に則り、木管は倍に増やされました。したがってスコア上では8人しかいないはずの木管は16人になりました。

そしてオープニングのクラリネットを4人で吹きました。

これがまた効果的だった。イントネーションの良さもさる事ながら、音質がやはり厚い。音量が大きいのではない。音質である。CDではどんな出来であろうか。楽しみである。

第一楽章提示部最後のファゴットもそのままファゴットに吹かせていた。米国ではここはバス・クラで演奏される事が多い。クラリネットの下降音型も受け継ぐ形でファゴットがさらに下に下がるのだが、音色がガラっと変わってしまうのと、あの音をファゴットでpppで吹くのは至難の業だからである。

しかしシュテュットガルト放響の一番ファゴット奏者は本番で見事に決めてくれた。

第二楽章、テンポは速め。ソロが粘らない。しかしそれ以上に素晴らしかったのはテンポの移動である。

この楽章、チャイコフスキーはかなり頻繁にテンポの変更を指示している。この指示は、多かれ少なかれ、無視されるか、殆ど変更が感じられない程度に抑えられるのが普通だ。Sir Rogerは徹底的に指示通りにテンポを動かし、見事に楽章の構成上それらが必要である事を証明した。

第三楽章のフレージングの美しさ

そして第4楽章。

圧倒的なスピードとパワー。勝利の最終楽章にこれ以上ふさわしい物はない。

それにしてもノン・ビブラートで良くもまぁこれだけの演奏が出来るものだ。音程の素晴らしさ。特に第2楽章に顕著である。今日、Sir RogerはCDにGoサインを出したようなので、年内中には発売されるだろう。

楽しみだ。

2008年2月17日 (日)

ビブラート・2・続歴史

ビブラートとは一体どのような物として捉えらえられていたのだろうか?

過去の文献のうち、ある一冊の例外を除けば、下記の定義に集約される。

ビブラートとは装飾音の一つである

この定義はなんとヤシャ・ハイフェッツェの先生・アウアーに至るまで使われているのである。「Violin playing as I teach it」(1920年出版)

そして唯一の例外がジェミニアーニ(1687-1762)の教則本(1731)である。これは無視ができない。なぜならジェミニアーニは稀代の名バイオリニストだったからである。彼はビブラートの多用を推奨している。なぜ彼だけが推奨しているのだろうか?

ここで問題なのは、実はジェミニアーニ推奨のビブラートが一体どういうものであったのかがわからない点である。

ビブラートはその初期の頃からその効用は広く知られていて、下記のような記述もある。

ビブラートには音が暖かくなるという効用がある。しかしこのようなビブラートは、聞き手には知られてはならないもの、つまり、ふり幅を大きくしすぎてビブラートをかけているのがばれてはいけない。

このような前提での推奨もあったのである。

ジェミニアーニの推奨するビブラートが上記のようなものである保障はない。もしかするとはっきりとそれと分かるようなものかもしれない。如何せん証拠がない。

しかしどちらにしてもジェミニアーニは例外中の例外である事は覚えておいて欲しい。

さて、ビブラートが単なる装飾音であるという定義が一般的であったのなら、オーケストラのメンバーがそれを使用しなかったというのはありえる話ではなかろうか。個々の奏者が思い思いの場所に装飾音をいれればカオスにしかならないであろうし、また団体の中の一人だけが使用しても効果的ではないだろう。

しかし勿論、聞き手が気が付きさえしなければ、ビブラートの使用はありえたと言う事も思い出すべきだろう。ノリントン氏のシュテュットガルト放送交響楽団の弦楽奏者の手がビブラートしているのを確認する事はできる。しかし、それはあまりに遅く、またふり幅が小さいため、我々聞き手はビブラートをこの耳で確認する事はできない。

ソロのパッセージを弾く者だけが、聞き手に聞こえるビブラートの使用をゆるされるのである。

オーケストラのビブラート使用に関しては以下のようにまとめられる。

1.ソロパッセージを弾く奏者は任意で使用できた。

2.表現的なビブラートは合奏状態では全体の合意がない限り使用しなかった。

3.個々の奏者が任意で使用する場合は観客に聞こえないように使用した。

個人的には2のようなシチュエーションはありえたと思う。例えばカリスマ指揮者の指示である特定の場所に使うというような感じである。

しかし現代の継続的に使うビブラートの使用はやはり状況証拠的に見て、

                  ありえなかった

もしくは、

              聞こえないように使用した

と断言するべきだろう。

2008年2月16日 (土)

ビブラート・2 歴史

オーケストラのノン・ビブラートを否定している人達がいる。彼等の中にこのように言う人がいる、「もし20年代までビブラートをかけていなかったとすれば、25年の録音で聞けるビブラートはうますぎる。そんなに簡単ではないのに。昔から使用していなかったらこんなのは無理だ。」

このような発言には、前回も書いたように、ビブラートはソロで弾く時は使用されていたのである。したがってオケで使用するようになった時、すでにメンバーは皆、慣れた手つきでビブラートを導入したであろう、と答える以外にない。

そして上記のような発言する人達に気づいて欲しい事がある。それはビブラートの歴史である。

ビブラートの歴史は長い。それはそうだろう。人が歌えばビブラートは自然にかかるのだから。ただし、そのような自然な声の揺れは今日のオペラ歌手が使うような、ビブラートとはまったく別物である事(早く、音程の揺れ幅も大きい)は思い出していただきたい。

ビブラートの歴史を考える時に大事な点は2つ。

1.どのような物であったか

2.どのように使われていたか

の2点である。

1.ははっきりとは解らないようだ。それはそうだろう、何処の誰が、「一秒間に手首を3往復し、音程の揺れ幅は3/4音」とかいうような説明をするだろうか?

ただし19世紀初頭の教則本に1/4音の1/4以上の揺れ幅があってはならないという記述があると言う事は昔教えられた。

さらに、あごで楽器を押さえる習慣は18世紀後半もしくはそれ以降になってようやく定着というか流行ったと言う事実がある。したがってそれ以前は当然激しいビブラートは使用が難しかった事は想像に難くない。

では20世紀のビブラートはどうだろうか?1900年と1999年のビブラートは同じなのだろうか?1950年代と2000年代で変化はないのだろうか?

答えはYESである。変化はあるのである。

ブラームスの友人であった偉大なバイオリニスト・ヨアヒムの最晩年の演奏が、CDに復刻されている。彼のビブラートを誰でもいい、現役の人のものと比較すれば一聴瞭然である。バイオリンだけではない、世紀の大テノール、カルーソとアラーニャを比較してみよう。全然ちがう。

さらに、50年代のベルリンフィルの録音を今のベルリンフィルの録音を聞いてみていただいてもいい。かなり違う。

2-3週間前にTVでベルリンフィルがサイモン・ラトルの指揮でブラームスの4番交響曲、と2重協奏曲を演奏していた。私はまさに、驚愕してしまった。彼らのビブラートはかって聞いたことがないほどに早く、大きかったのである。あれに比べれば、カラヤン時代のビブラートなど、あってないようなものである。若かりし頃のパールマンのそれよりも早く、大きいのである。

20世紀だけを見てもビブラートは変化・変貌を遂げている。

以上のような事を考えるにつけ、一体何を根拠に現在の普通のビブラートが100年以上前にすでに使用されていたと信じる事が出来るであろうか。使われていた、いないというだけの問題ではないのである。

2.どのように使用されていたか

これが大事である。

これに関しては次回に。

2008年2月10日 (日)

ビブラート・1、ノリントン氏の証言

最近はもう珍しくもなくなってきたが、10年前では考えられなかった事がある:

ビブラートを抑制もしくは未使用で演奏するという行為である。

古楽復興運動のパイオニアである、アーノンクール、ノリントン、パロットやヘレヴェッへらの活動・活躍のおかげである。彼らの演奏の成功が、古楽器奏者ではない、通常の演奏者へ与えた影響は大きく、アバド、ジンマン、ラトル、さらには金聖響などの指揮者は多かれ少なかれ古楽演奏方法論を取り入れて演奏している。

しかしどうやらビブラートの使用に関しては、意見が分かれているようだ。誤解もあるように思われる。モーツアルトやベートーベンまではビブラートの使用は抑制もしくは未使用でも、ロマンは以降の曲についてはありえないというような意見である。シューベルト、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどである。

果たして本当にそうなのであろうか?

ロジャー・ノリントンとシュテュットガルト放響の来日公演を聴かれた方はブラームスやサリバン、またはメンデルスゾーンやベートーベンそしてヴォーン・ウィリアムスがビブラート無し(以下ノン・ビブラート)で演奏されたのをお聞きになられたでしょう。

なぜ彼はそんな事をするのか?

ノリントン氏:1920年頃まではオーケストラはビブラートを使わなかった。したがってブラームスはおろか、マーラー、ベルグ、ドビュッシーすらオケがビブラートを使うなんて想定外さ。徐々に増えていったんだ。

証拠は?

ノリントン氏:録音さ。世界中回って色々なオケのアーカイブや放送録音、市販された音源、市販されなかった音源を聞いたよ。300以上は聞いている。でも1920年以前の録音からはビブラートは聞かれなかった。フィラデルフィアで指揮した時言われたんだ、「このオケの歴史上始めて、ノン・ビブラートで演奏した」ってね。だから教えてあげたんだ、いやいや、君のところの古い音源にノン・ビブラートのがあるよってね。もう聞いていたから知ってたんだ。後で、「ほんとにあった」って言ってきた。びっくりしてたよ(笑)

でもビブラートを使っている演奏家の録音はあるじゃないですか。

ノリントン氏:勿論、ソリストは使っていた。ビブラートは装飾音の一つなんだから。でもオケで弾く時は使われなかったんだよ。当然、ソリストになれなかったオケマンだってビブラートを使用したでしょう、一人で弾く時はね。あくまでオーケストラは使用しなかったと言っているんだよ。

ノリントン氏:あとね、カルーソとかの伴奏をしているオケがビブラートを使っているじゃないかって、よく言われるんだけどね。あの伴奏はオケじゃぁない。よくて2人か3人しかバイオリンいないんだよ。それでね、当時の録音技術では、ビブラートでもかけて音をもっとフルにしないと音がはいらないんだ。他にどんな方法が彼らにあったって言うんだね。

結びにあたり、氏はこう言われた:

私が間違っていると言うなら、論破してください。証拠を見せてください。私は喜んで間違いを認めますよ。でもね、ノン・ビブラートの演奏をもう30年位して来た。。。正しいからじゃぁない。。。美しいからなんだ。私はね、信じているんだよ、このサウンドを、

ピュア・トーンの美しさを!

注:ノリントン氏はノン・ビブラート音をピュア・トーンと呼んでいます。

2008年2月 4日 (月)

ロジャー・ノリントン賛

ロジャー・ノリントンは英国の指揮者である。ちょうど今日本に彼の手兵シュテュットガルト放送交響楽団と伴に来日ツアー中である。彼ほど、エキサイティングで楽しく、かつ説得力があり、しかもそれでいて作曲家の意図を忠実に描き出そうとする指揮者を私は知らない。彼は言う、「私の音楽作りがショッキングなのではありません、ベートーベンの、モーツアルトの、ハイドンの、マーラーの曲がショッキングなんです」と。

「私は常に、すべのスペシャリストになれるように、勉強しているんだよ」

70歳を超えている世界的指揮者のセリフである。長く、深い研究から裏打ちされた解釈は学究的でも、無味乾燥でも、威圧的でもない。常に喜びと驚きに満ち溢れている。躍動感とユーモアに満ち、それでいて何とシリアスであろうか。

彼は訳のわからない不思議な動きを使う事もない。オーケストラが演奏しやすいように軽く指示を出し、そして音楽をつくる。音の行き先だけを示すだけ。一見何もしていないように見える事もある。それでいて、、、、

指揮法の極意、ここに極まる。

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