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2008年6月

2008年6月27日 (金)

フルトベングラーが愛した?シェンカー理論

日本ではシェンカーの名はフルトベングラーの名前と伴に扱われる事があれば出てくる程

度だと思います。しかし私が留学していたアメリカでは「調性音楽分析のバイブル」と言っ

ても良いほどに普通に学ばれ、音楽理論家からは神のように崇められています。

日本でも何年か前にべト5のアナリシスが出版されました。しかしまったくシェンカー理論

を知らない人には訳がわからないのではないでしょうか。しかもべト5のアナリシスは残念

ながらシェンカー理論が発展途上にあった頃のものなので、シェンカーを紹介するのに果

たして適当だったのでしょうか。

私の恩師、Charles Burkhartは「なぜ第5なんだ、第9のほうが遥かに素晴らしいのに」と

言って私を困らせました。

私はシェンカー理論とそのアナリシスは素晴らしいと思います。

その理由は我々に要求するからです、全ての音、一音一音を吟味せよ!と。

ですからその素晴らしいシェンカー理論をこれから何回に分けて(不定期になるとは思いますが)紹介したいと思います。

ではまずシェンカー理論で分析すると

「何が判るのか」

から入りたいと思います。

曲の構造が判ります。 

「な~んだ、構造くらい知っている」と言う声が聞こえてきそうですが、もうすこし付き合ってください。

この構造って言うのが何かと言うのが肝心です。

simpleな例を1つ。

記憶違いでなければバッハの平均率の第1巻のハ長調プレリュードの最初の4小節は

I-IV-V-Iというコード進行だったと思います。

もしあなたがこの4つのコードのうち1つを消去しなければならないとしたらどれを消しますか? しかも可能な限り原曲の形を崩さずに、、

答えはIVです。

なぜかと言うと、もし最初のIを消したら、唐突な始まり方になってしまうし、調性感もうすくなってしまいますね。  最後のIを消してしまうとフレーズが終わらなくなってしまいます。

Vを消してしまうとドミナントートニック進行が消滅してしまうので、やっぱり調性感が薄くなります。

ところがIVと言うコードはドミナントにつなぐのが基本的な機能であり、そのようにここでは使われています。

さてここで、この曲のメロディーというか一番上の音はなにかおもいだしましょう。

E-F-F-Eですね。

さぁこのメロディーをI-I-V-Iでひいてみましょう。

まぁokでしょう。 調性感もあるし、メロディーもまぁokってことで。

さて上のことは何を意味するかと言うと

コードには階級(ヒエラルキー)があるということです。 つまり、構造上重要なコードとそうでないコードがあるという事です。

ここで勘違いして欲しくないのは、ここでの階級というのは、

構造上であって、

音楽的には話は

と言う事です。つまり「音楽表現上必要では無い」とは言っていません。繰り返します。

言ってません。それとは別の話です。

また私はIVと言うコードが存在しなくて良いとも言ってないです。音楽をつくるうえでは全てのコードが大事です。あくまでコードの持つ機能に関して階級が存在すると言う事を理解してください。

さて、上記のような行為、つまりコードを階級に従って減らす(Reduction)事を曲全体に広げると楽曲はどんどん骨組みだけになっていきます。つまりどの音もしくはコードが構造上大事であるかが分かってきます。

おもしろいのは、このような過程をへると構造上大事ではない音が往々にしてとても表現的でたまらないと言う事も分かってきます。また、構造上も大事であり、かつ表現的な音も分かってきます。

このようにして楽曲を見ていくとどうしてもその曲に含まれる全ての音を吟味せざるをおえません。すまり、全ての音の意味を知ることになります。

かつて、アメリカの理論家allen forteが、「シェンカーの最大の発見はこのようなlevelが音楽に存在すると言う事を証明したことにある」と言っていました。

levelというのはここでは、ここではそうですね、、段階といっておきます。 つまり、上記のようなreductionの最終の結論に到達するには、段階をへて、徐々に減らしていかなければならないからです。 

この最終結論をシェンカーは

ursatz(ウワザッツ)

と呼び

このウワザッツに付随するメロディーを

urlinier(ウワリニアー)

と呼びます。

この最終結論がどんなものかはあとに譲ります。ただ知っていただきたい事はシェンカーの理論をつかい曲を分析するということは、多くのことを発見するということ。

そして、これは肝心なことなので強調しますが、

ある曲を2人の人間がシェンカー理論をもちいてアナライズした結果が必ずしも一致しないということです。

そうでありながら、どちらも正しいと言う事がありえます。 

したがって、無味乾燥な科学的・数学的な理論ではないということです。

以上駆け足で書いてみました。かなり端折っておりますので、誤解を招くような箇所があるかもしれませんが、それは追々自然と訂正されていくのではないかと願っています。

2008年6月25日 (水)

シュテュットガルト放響国内ツアー

つまり、ドイツ国内ツアーです。Aalen-Hannnover-Amsterdam-Hamburgに行きました。

はい、すみません、アムステルダムはドイツではありません。オランダです。

プログラムは定期で弾いた「夏風」とクラリネット協奏曲(ソロ一緒)そして

なんとエニグマに変えて

ブルックナーの6番でした。

私はサー・ロジャーのブルックナーはライブ初体験。

実はもう日本で発売された3番と未発売の4番はCD-Rをサー・ロジャーからお借りして

聞いていた。(4番もOKを出していたので、発売間近と思われる)

しかし

この6番にはびっくりした。

これは本当にブルックナーなのか?

6番は好きな曲で、Wand&NDRが原体験になっている。しかし、

そこには笑い、歌い、踊り、飲み、口説くブルックナーというあまりにも人間的な

彼が描かれていた。

勿論、通常の?神々しいというか苦悩と祈りのブルックナーもそこには居た。

そしてFinaleはもう完全に踊り狂ったアントンである。

誤解を恐れずに言います。それはもう、阿波踊りを踊っている集団を見るおもいでした。

サー・ロジャーは「そりゃそうだ。彼だって人間だ。土曜の夜にバーでピアノ弾いて、女を口説いて、次の日二日酔いで礼拝に行ってオルガン弾いていたんだ。」

「そういうもんだろ?私は生きたブルックナーが聞きたい。聖人に奉ってばかりでは見落とす事がある。」

偉大な作曲家は常に多様な顔を持ち、それが曲に反映されていればこそ、人生の、人間

のさまざま側面を表現する事ができるという事を思い知らされた演奏でした。

世間一般のイメージなど忘れる事だ。

初心にもどってあらためてスコアと対峙することだ。

それ以外に本当にブルックナーに到達するすべは無い。

追記:この曲にはバーンスタインが隠れています。何処でしょう?

はは, 簡単ですね。

2008年6月24日 (火)

シュテュットガルト放響演奏会3の3

そしてついにエニグマ変奏曲だ。

氏曰く、「私はこの日を30年待った。」

「ピュアトーンによるエルガーを今日初めて聞いたんだ。」

初日のリハーサルの時に感慨深げにそう言った氏の目は心なしか、、、、

するとすかさず、「勿論は想像はしていたけどね(ニコ)」だって。

それにしても、Sir Rogerが30年待ったものを聞けるとは大ラッキーである。

そして演奏はその30年の思いがこもったものだった。

冒頭第一バイオリンのBb-G-C-Aがなった瞬間、金縛りにあった。

Cに向かって軽くクレシェンドし、最後のAに向かってディミニュエンドしただけである。

勿論ビブラートは無い。

ノン・ビブラートの演奏は「素っ気無い」という方がいらっしゃるが、一体これの何処が素っ気無いのか?

確かに素朴ではあるかもしれない。しかし私には、、何と言ったらよいか、、

良い日本語が見つからない、、、、そう

Innocent。

それは純真であるが故に、心にもっと直接響いてくる、、、そんな音だ。

それにしても何と素晴らしい曲だろう。カラヤンですら、この英国人の曲の魅力には抗えず、演奏したという。交響曲は「我々にはブラームスがある。だから英国の交響曲はいらない」と言って演奏しなかったのに!

この曲でノリントン氏はいつものような倍管をしなかった。第一バイオリンが16人いるにも関わらず、倍管をしなかった。

「必要なかったろ。全部良く聞こえたよな。」と演奏終了後に筆者に尋ねてきた。

「ええ、全部良く聞こえました。」

「実に見事なオーケストレーションだ。繊細だ。」とご満悦のサー・ロジャーでした。

今回聞いていて新しい発見が随所にあり、その中から幾つか書いてみよう。

1.Dorabellaがこんなに孤独な音楽だとは思っても見なかった。

感動的なNimrodの後のIntermezzoだと思っていたのだか、、

2.G.R.Sは本当に犬だった。

リハーサル中に「ワン・ワン・ワン」と叫んでいたサー・ロジャー。

3.Romanzaのティンパニーにつけたフレージングと撥の代わりに使った、、これは内緒にしておこう。。

CDになるのが楽しみだ。もっともっと何回でも聞きたい。そんな演奏だった。

追記:Sir Rogerはエニグマの秘密はモーツアルトの「プラハ」が無意識的に影響したのだろうと言っていた。

「とてもよく似ているよ。ほら。」と言って筆者に向かって歌ってくれたのだった。

2008年6月20日 (金)

シュテュットガルト放響演奏会3の2

コンサートはヴェーベル(Webern)の

夏風の中で(Im Sommerwind)

で始まった。

ところで、ドイツ語のWは濁点発音するものではなかろうか?

なぜヴェーベルンではなくウェーベルン

ヴァーグナーではなくワーグナー

が広まってしまったのか。詳しい方いたら教えてください。

閑話休題。

さて、ヴェーベルンに戻ろう。

「夏風」は作曲家が20才の時に書かれた曲で、12音技法どころか、シェーンベルグの無調すらまだない無い。

1904年の作曲で、思いっきりR.シュトラスな感じである。ただシュトラウスとの違いも明らかで、後のヴェーベルン、短い曲ばかり作曲する大家の顔が見え隠れする。

つまり、息の短い旋律というかモチーフへの偏愛である。

このメロディーを聞いていていると何となく、「こんなに大きなオケ使わなくても良いんじゃないかな。2管編成にハープ一台(実際には2台)くらいで良いんじゃないかな」と思わせるものがありました。なんというか、もてあましていると言うか、もったいないと言うか。

後のミニチュアな作曲家として本質がすでに萌芽しているのでしょうか。

さて、曲は美しい。演奏も、ノンビブラートが効果的、ノリントンのフレージングとテンポ設定が素晴らしく、夏の風の中でと言う感じが良くでていた。

以前ブーレーズのCDで聞いて、退屈な曲というイメージがあったのだが、まったく印象が違った。

印象の違いは勿論、ビブラートもあるのだが、やはりテンポであろう。

ノリントンのテンポはブーレーズより速い。躍動的で若々しく、曲のキャラクターにあっている。

しかしこのテンポの差は実は実務的な理由からであった。

例によってサー・ロジャーのリハーサルに来ていた私はハーピストがある小節で苦労しているのを目撃した。

どうやらサー・ロジャーのテンポでは弾けないようである。

場所はリハーサル番号2(Schnell)の3小節目。

ブーレーズはこのSchnellが圧倒的に遅い。Schnellは速いという事だから、ブーレーズのはいくらなんでも遅すぎではなかろうか。しかしベルリンフィルのハープもSchnellでは弾けなかったのだろう。だからその遅いテンポがSchnellになったのではなかろうか。それにあわせて他のセクションのテンポをブーレーズは決めたのではないだろうか。

しかしサー・ロジャーはSchnellはSchnellというテンポを取った。

だからこの小節は音は不正確に弾かれている。しかしリズムはあっていたと思う。

そして、曲の性格にもあっていると私は信じる。

したがってこの小節は若きヴェーベルンのミスとしか思えない。Schnellで弾けると思ったのではないか。この曲の初演は1962年だから、もしハーピストに尋ねていなければ、知る由もなかったろう。

他の指揮者のテンポが知りたい曲である。

次回はメインのエニグマ変奏曲について書きます。

2008年6月17日 (火)

シュテュットガルト放響演奏会3の1

インバルさんが去った後、Sir Rogerが帰ってきて、コンサート。

プログラムは

ヴェーベルン:In Sommerwind 夏風の中で

モーツアルト:クラリネット協奏曲

武満徹:ファンタズマ・カントス

エルガー:エニグマ変奏曲

クラリネットソロは言わずと知れた、ザビーネ・マイヤー。

ドイツでドイツ人ソロとイギリス人指揮者でドイツのオケが武満を演奏する。

感慨深いものがあった。NYでは聞くチャンスは0だったが、

ドイツでは結構演奏されるとの事。

Fantasmaは美しい曲で、ただひたすら美しいのでへたすると退屈な曲だ。今回は残念ながら、終盤退屈であったのはマイヤーなのか、オケなのか?

夜瞑想しながら聞くと効くかもしれない。

さて上記2曲を一晩で吹いたマイヤー女史。

Mozartではバセット・クラリネットを使用。

バセット・クラリネットは通常のクラリネットよりも低い音が出せるクラリネットである。

したがってサイズは通常よりはるかに大きい。サックスのようにストラップを着用。

実はバセットクラをLiveで聞くのは初めてである。

今回聞いた限りでは、バセットは音が通常のクラよりメロウで、低音から高音まであまり音色に差がないように感じた。

私は曲の途中であのクラリネット独特のきらきら光る高音が聞きたくなってしまった。

音色があまりにも統一されているが原因だろう。

I miss a Clarinet in A!!

残念ながら、幾らモーツアルトの原曲に近づく為とはいえ、この楽器を使用には演奏に説得力が無かった。

現代バセット・クラリネットはシュタ-ドラーが吹いていた物と縁もゆかりもないくらい別物であり(ストラップがあり、キーの数は半端ではない)、ただ単に音域が同じと言うだけであろう。

勿論、Mozartの原曲に近い物が聞けるの素晴らしい事ではある。

それ故に、この楽器にはオリジナルの歴史楽器であるバセット・クラリネットの音色(ライブでは未聴)や現代のクラリネットの音色に負けない個性を持って欲しい。

クラリネット奏者の方々は現状に満足せず、どんどんメーカーに提案して言って欲しい。

楽器の成長は奏者にかかっています。

さてマイヤー女史にはどのようにして音の変更を決めたのかお伺いした。

マイヤー:第1楽章の復元は比較的容易。モーツァルトはこの曲をまず「バセット・ホルン(別の楽器)」のためにト長調で書き始めており、その草稿が残っている。そのバセット・ホルンのパートは第1楽章ほぼ最後まで完成している。これを移調し、他の箇所はこれを参考にする。

上記は私もすでに知っていた話だ。

続けて女史は「あとMozartの指示が書簡で残っていて、細かくどの音が低いとかわかるのよ」との事。これは初耳でした。 どなたかご存知でしたら教えてください。

それにしても、バセット・クラリネットはこれからどんどん広まっていく気配である。

この頃ちょうどTVで若いクラリネット奏者がやはりバセット君を使用してMozartを吹いていた。

ちょっと調べたところ、メーカーは色々な種類のバセットを作り始めているようだ。

バセット・クラリネットIn Bb and Aがあった。

勿論、メーカーとしてMozartにしか使えないような局地的楽器を一部の人間の為に作りたくはないだろう。

生産ラインに乗せたいはず。

バセットは通常のクラリネットより低音域があり、高音域はまったく一緒だと言う事であれば、音域に限っての話であれば、バセットさえあればなんでも吹けるということになる。
そんな事を言っているクラ吹きのブログも読んだ。

でもそれでいいのか?

追記:Mozartのクラリネット協奏曲のオケパートは本当にMozartが完成させたのかどうか疑問視している方々がいらっしゃいます。もし彼らが正しいとすると、原曲への作業はクラパートだけではすまない。

モーツアルトの話が長くなりすぎた。

あとは次回に。

2008年6月14日 (土)

クラシックが博物館に入る日または失われる時

私と、志を伴にしてくれる同士よ、願わくばあなたのもとに私の声が届きますように。

今回のドイツ滞在で理解した事がありました。 それは:

真に文化的の民族を作り上げる環境

ヨーロッパでのコンサートそして展覧会の数の多さには驚くべきものがあります。
一つの町に無数にある教会では毎週最低1回はコンサートがあり、
音楽ホールでは毎日のようにコンサートがあり
さらにオペラがあります。

しかもこれらはすべて低料金で鑑賞することができます。

これはつまり文化を楽しむと言う行為が一般の人々にとって当たり前の行為であり、またそれを実行する

        環境が整っていると言う事です。

東京は演奏会の数は負けていないかもしれません。
しかし料金は高く(3千4千5千円は当たり前)、

距離は遠く(良い演奏家は限られた幾つかのホールにしか来ないですよね)、

時間もぎりぎりで(開演ぎりぎりに滑り込み・ディナーはホールのサンドイッチで済ませる)

つまり、東京で音楽会に通うと言う事は、

金銭的にも時間的にも余裕がなければ、

        本当に"ゆっくり"楽しむ事はできない。

つまり、逆に言うと

          一般の人がライブ音楽に触れるには、
             ある程度の努力を強いられると言う事です。

          
           しかも子供は歓迎されません。

このような状況では子供はコンサートに行くという事が特別の事という理解を持ってしまいます。
これでは文化に触れると言う行為、その行為その物が人生を豊かにするであろう行為を、うざいと思ってもしょうがないのではないでしょうか。しかし彼らは未来の観客なのです。

ではどうすればいいのでしょう?

子供の頃から家族でこういった場所に頻繁に出かけていき楽しむという状況を経験してもらわなければなりません。

そしてそういった状況にならなければ、
    文化的需要の成熟は望めません。

フォル・ジュネルの成功を見れば分るように、人々はそこに行く事が手軽であれば、つまり、時間的にも金銭的にも無理が無ければ

良いものに触れたいという気持ちがあるのです。

良いものに触れたいという気持ちがあるのです。

ではフォルジュネルによって他の演奏団体に人は流れたのでしょうか?のだめブームはクラシック愛好家を増やしたのでしょうか?

            答えはNOです。

なぜならそれは一過性のブームだからです。
なぜならそれは一年に一度のイベントだからです。

イベント、そう、人は一年に一度くらいは、無理をする事ができます。

しかしこれでは観客育成の土壌は育ちません。

そのような土壌は

安く、子供と一緒に、無理なく行ける時間帯と場所、コンサートが頻繁に行われるようでなければなりません。

ほら、あなたの近所にある区民会館、キリスト教の教会、神社・仏閣。

それらの場所で、芸術を日常の糧として子供が育ったのなら、

乗り換えて上野に、渋谷に、初台に、池袋に、川崎に、彩の国にわざわざ行くでしょう。特別なコンサートなら、それも良いでしょう。100人近い人間が演奏する交響楽団の値段が高くても、理解できるでしょうし、それが、ちょっと普通でない状況である事も理解していただけるでしょう。

だから!だから!

私達音楽家は多くの人にそのような音楽の場を提供する努力をするべきです。

このような志をともにしてくれる人よ、集いたもう!

連絡先: daijiro.ukon@gmail.com

2008年6月13日 (金)

シュテュットガルト放響定期演奏会2

ネタがまたまた古いですが、ご勘弁を。

実際には今シーズン3度目の定期。2度目の定期はアールミンクが来てシェエラザードを振ったのだが、私はあいにく留守。その頃は旅行に出ていました。

そして今回はエリアフ・インバルさんでマーラーの7番と、

なんとツェルハの新曲初演。

ツェルハの曲は弦楽部を徹底的にDivisiして、色々な所から音が聞こえるという、空間を利用したものだった。これをトロンボーンの強奏がかき消す。面白い曲だった。

当人はまだまだお元気のようすで、すたすたと歩いていらっしゃいました。

メインのマーラーは、インバルさん十八番だ。手馴れたリハーサルで、無駄が無い。

しかしマッチョよりな解釈であり、オケは身体的にきつそうであった。

もともと繊細なオケなので、相性はどうであろうか?

インバルさんは都響のプリンシパル・コンダクターになる。

「あー、都響とは多くのいい仕事・コンサートをしているからね。今回も楽しみだ。」

との事でした。

ご活躍を期待する。

2008年6月12日 (木)

やってみませんか?

モダン楽器でピリオド奏法を始めて、すでに7年近く経過しました。

この間ハープシコード奏者から「ピリオド楽器と一緒に演奏しているかと錯覚してしまった

よ」とも言ってもらっています。

またSir Rogerからも、「Good Job!」のお墨付きをいただきました。

これからはノリントン氏から習ってきたピリオド奏法を実践していきたいと思います。

もし”モダン楽器でピリオド奏法”にご興味がありましたら、下記にご連絡ください。

みんなで何か演奏しましょう。

daijiro.ukon@gmail.com

モダン弓でピリオド奏法:コツ

前回の続きです。

まずは、弓を弦の上で弾く事を心がけます。ただし、押さえつけては駄目ですよ。自然な跳ね上がりはとりあえず、そのままにします。

次、そして一番大事なのは、アップとダウンに明確な差が必要です。

ダウン弓では自然なデクレッシェンドが伴います。

アップ弓では自然なクレッシェンドが伴います。

ただし、極端につけては駄目です。そして弓を返すときに本当に微妙なアーティキュレーションをつけます。

まずはゆっくりやってみてください。例えばバッハのブランデンブルグ協奏曲の5番の冒頭でやってみましょう。

レ・レ・ファ・ファ・ラ・ラ・レ・レ  ですね。

 レ ファ ファ  ラ  レ

大文字は小文字より音量があります。そして常にダウン弓です。そして大文字には最後に小さくディミュニュエンドがあり、小文字にれの後ろには微妙なクレッシェンドがつきます。

アーティキュレーションも忘れずに、ゆっくりやりましょう。ゆっくりやって出来たら、テンポでやってみてください。どうですか、それらしくなりました?

文字で説明するのは難しいですね。

う~ん。

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