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2008年8月 3日 (日)

脳と仮想

 2001年の暮れ、私は羽田空港にいた。朝一番の飛行機で旅行から

 帰ってきて、レストランでかれーライスを食べていた。私の横に、

 家族連れがいた。5歳くらいの女の子が、隣の妹に話しかけていた。

 「ねえ、サンタさんていると思う?○○ちゃんは、どう思う?」

 それから女の子は、サンタクロースについての自分の考えを話し始めた。

 その先を、私は良く聞き取れなくなり、カレーライスの皿の上にスプーンを

 置いた。

 「サンタクロースは存在するのか?」

 この問いほど重要な問いはこの世界に存在しないという思いが、

 私を不意打ちしたのだ。

このようにして茂木健一郎の「脳と仮想」は始まる。

「仮想」、つまり実際には存在しないもの、そしてそうであるにも拘らず、いやそうであるが故に、「仮想」に人間は切実なものを感じる。過去に起こった物事はすべて仮想である。想像の動物や人(サンタクロース)も仮想である。あなたが誰かをイメージしたら、それが実在する女性(初恋の人とか)であろうとなかろうと、彼女は「仮想」である。美も善も仮想である。この世は「仮想」に溢れている。いや、人は「仮想」なしに生きていけない。人はなぜこのような「仮想」にそれほどの実感を感じるのだろうか?

茂木氏は色々な例をありとあらゆる角度が論じ、いかに人間が「仮想」と伴に生き、それがいかに我々の人生の本質であり、故に大切であるかを説く。

氏は現代の視覚文化へ警鐘を唱える:

  画家は単に目があるから見るのではない、寧ろ、目があるにも関わらず、

  見抜くのである。-中略- 様々な情報をデジタルのデータとして大量に

  手に入れられる現在、何かを見ることの困難はむしろ増大している。

  本来現実に対応物がないことが本質である仮想でさえ、わかりやすい音や

  絵にして見えることを人々が要求し始める。現代人はひょっとしたら

  仮想とはCGによって表現されたハリウッド映画のことだと想っている

  のではないか。CGによて表されたものは、仮想ではない。

  それは、「今、ここ」の現実である。

したがって茂木氏は「仮想」をビジュアル化し、解りやすくすることに異を唱える。

例としてワーグナー作曲の「トリスタンとイゾルデ」の最後のシーンをあげる。

イゾルデは最後、死んで横たわっているトリスタンのもとへ生きながらにして死

に、彼への愛ゆえに、昇天する。それは死んで彼女の魂がトリスタンの魂のもとへ

行くという演出が一番解りやすい。故にそのような様子をスクリーンに映してみた

りする事は可能だ。しかしここで一番大事なのは、そのような昇天は話の筋と幻想

性から考えてみれば、見なくても観客は感じることができる。

否、感じる内容事態は各々違うかもしれない。しかし、そのような、「愛ゆえに」と

いうような身を焦がす思いが、イゾルデを死んだトリスタンのもとへ連れて行くと

いう現実ではありえないような事象を引き起こしている事は、観客はそれを見なく

ても、感じることができるのである。

それをまず、イゾルデを殺し、そして魂をおぼしきイゾルデのイメージが体内より

出てきて、そして云々、、、、などと見せる必要はないし、

見せる事によって観客ひとりひとりが自分でそのような

彼自身のオリジナルの「仮想」を作る事、

瞬間的に作ってしまうという事によって起こる

感動の体験」、エモーションの波

を体験する事を妨げる事になる。

そうなれば、「仮想」に対して人間がもっている切実さなど当然消えうせてしまう。

「仮想」をつくり、見ること、それは物事の本質(往々にしてそれは概念的であり、

物質的ではない)を見ること、考える事に繋がるのである。

それにしても、「芸術は、人に心を傷つけることで感動させる」

のくだりは本当に卓抜である。優れた芸術作品によって心が受ける、ぐさり

としたあの感覚。

あれこそは我々芸術家が欲してやまないものだが、

何という見事な表現であろうか。

茂木健一郎が一介の科学者ではなく、

        芸術家としての科学者である一つの証がここにある。

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