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2008年10月

2008年10月27日 (月)

リサイタル by MIE MIKI

アコーディオン・ヴィルトオーゾの御喜美江さんリサイタルに行ってきた。

浜離宮朝日ホールである。

このホールはほどよい小ささでソロ・室内楽や室内オケの演奏に適していると思われる。

音響もなかなか良かったと思うが、それは私が座った位置が良かったのかもしれない。

2階中央、なんと御喜さんのまん前!

勿論あちらは意識はしてないだろうが、私のところに音が超特急でガン!と飛んで来た。

「アコーディオンてこんなに鳴るのか!」

もともと音がでかい事は承知していた。昔からあの音色が好きだった。

しかしこれほど色々な表現が可能だとは思っていなかった。人を得れば楽器の潜在能力

が開花するとはいえ、驚きである。

考えてみればこの楽器オルガンのように音が伸ばせ、声のように強弱がつけられ、ビブラートもかけられる。

ピアノが霞むほどだ。。。。

さて印象的だったのは最初のバロックの曲と吉松隆氏の新曲、ケージ、そしてピアソラ。

舞曲はやはりこの楽器にあっているようだ。やはりバロック音楽というのはオルガンの音やチェンバロのような弾かれて出る音が似合う。

吉松氏の新曲は「忘れっぽい天使」系の曲で、随所に”ギュっ”というような不協和音が効果的に使った組曲だった。

ただ一曲一曲が短いのでもう少し浸れるような長さが欲しいと思った。

御喜さんは「この曲は難しい」と言っていたが、何が難しいのか分らないほど見事に弾いてみせた。

ピアソラではリズムのノリも抜群で夫君と熱い演奏を聞かせてくれた。

ちなみにこの旦那さんのピアノも素晴らしかった。硬質な音で古いソビエト系の演奏家の音のようであった。あのような音で弾く演奏家がまだ居たのかと思うと嬉しい発見!

御喜美江のコンサートは掛け値なしに面白い。

プログラミングの妙、おしゃべりの面白さ、そして当然、叙情からラテン・ダンスまで表現する、演奏の力。

こういう人をヴィルトオーゾと呼ぶべきである。

2008年10月25日 (土)

モーツアルト 天才の秘密

中野 雄著

なかなか面白い本でした。伝記ではありません。

何がモーツアルトにモーツァルトとして成長させたか?

が主題となっています。

この中から、2つ、「なるほど」と思ったものをご紹介。

1.旅は脳を鍛える

著者によれば、「人間の脳は活発な刺戟を受ければ、記憶力も情報処理能力も上がる。そのためもっとも与って力あるのが《空間情報の変化》すなわち【旅】である。」

モーツァルトが旅を多くした事は知られているが、生涯の28.4パーセントが旅であったと言うのはすごい事である。イタリア・フランス・イギリスそしてドイツ語圏の国々(ドイツと言う国はなかった)など子供の頃から回りまわったアマデウス君にとって旅は生活の一部、もしくは大事な要素であったろう。

そして旅が脳によいのであれば、モーツァルトはそれを幼児期にはすでに始めていたわけであるから、脳の発達には理想的であったと思われる。

2.新製品成功の秘訣は「新しすぎない事」である。消費者や愛好家にまず安心感を与えるものづくりをし、その中に新鮮な、驚きの要素を秘める。

これも確かにそうだろう。しかし晩年のモーツァルトの音楽は完全に新しすぎたと思われる。彼は平然を政治的に危険性のある「フィガロの結婚」をオペラ化し、さらに「ドン・ジョバンニ」では貴族男性には素晴らしいアリアを与えず、しかも「コジ」に至ってはこま使いのデスピーナがそうそうたる存在感をしめし、失笑を買うのは王族の子女達である。

貴族の娯楽、消耗品の音楽であったはずのものが、いつの間にかドラマ性・精神性・真実性などを追い求める芸術作品になっていった。
この頃書いた「ピアノ4重奏曲 ト短調K478」は

「難しすぎて楽しめない」と言う理由で出版を依頼してきたホフマイスター出版から苦情を言われる。

そう、この頃の音楽は観賞用ではなく娯楽・気晴らし用であり、自分で演奏して楽しむというのも大事な要素だった。だから弾けない室内楽などは売れないのである。

なぜそのような危険な傾向の音楽を書くようになってしまったのだろうか。この本は明確な答えを提示はしない。間接的に、「父の死」をあげているに過ぎない。

ただ、晩年のモーツァルトの音楽がその質を一変し、さらなる表現力と深みを加えた事は間違いないことだと思う。まったくもって残念なのはモーツァルトがハイドンと一緒にロンドンへ行くなどという事がおきなかった事だと思う。市民階級の台頭著しかったかの国であれば、、、

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