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2008年12月14日 (日)

公開リハーサル サイモン・ラトルとベルリンフィル

行ってきました。ちょっと前にね。

最近時間が無くてリアルタイムに書けないのが残念。

まぁそれでも書きます。


ラトルにはドイツで一度お会いしています。今回はベルリンフィルに直接コンタクトをとって入れてもらいました。曲はブラームスの第3と第4の交響曲。

さて、、、


私はラトルという指揮者について今までどういうタイプの人かよく分らなかったのですが、今回ようやく腑に落ちました。

彼はディティールフェチ

でした。

つまり、本来であれば絶対に聞こえないようなどんな小さな事でも、彼がそこに意味を見出せば、聞こえるようにせずにはいられないのです。

そのため、相当な力技というか、無理なバランス操作や表情付けを敢行します。

こういうのは、伴奏と旋律がはっきり区別されているような

ホモフォニック音楽でやると危険です。しかし、後期ロマン派の音楽で

大管弦楽団が必要な曲はえてしてそれらの区別があいまいな事があり、

ポリフォニックな対応を迫られる事が多いくあるので、

ラトルにはぴったりと言えます。

これが彼が大管編成曲がうまい理由です。

あとハイドンが抜群なのも、これで納得がいきます。ハイドンはホモフォニックな顔をしたポリフォニーですので。

しかしモーツァルトからベートーベン・シューベルトを抜け、

ブラームスまでのドイツ音楽ではどうか?

これは微妙な問題だ。なぜならこれらの音楽は基本的にはホモフォニーだからだ。随所にポリフォニーな箇所がある事は確かだが、、、、

サー・サイモンはこれらの楽曲のなかにポリフォニックな箇所を人より

も遥かに多く見つけてしまうのだろう。それは勿論かまわない。


問題はそれらは本当に聞こえて然るべきものなのかどうか、である。


つまり、管弦楽法的に考えて、無理なバランス操作をしなければ

絶対に聞こえないようなものを聞かせる必要があるのか?


これを是とするか、邪とするかで評価が分かれる。

不自然・恣意的ととるか、発見・意思的ととるか。

そしてこれは、「作曲家が施した管弦楽法が適切なのかどうか」

という問いにもなる。「本当は聞こえて欲しかった」と思うか。


勿論これは

unanswered question

です。

私はどう思うのかって?

ははは、彼のわが道を行くという根性・度胸・そして個性に乾杯!

でもその結果には?だって!だってあります。

そりゃそうでしょう?

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