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2008年12月 6日 (土)

「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」

川口マーン恵美著

語り口のよさ、というか読みやすさから、駆け出しの人かと思ったら結構著作がありました。すみません。一気に読める文章です。お勧め。

さてタイトルの答えは実際には結論が出ない、というか結論は個人的なものにならざるをえない類のものである。

筆者のフルトベングラーよりの記述に眉を寄せつつも、
ベルリン・フィルの古参・引退メンバーがいかにカラヤンを高く評価していたかが分る本である。

また順位をつけようとする事に反対し、懸命に結論めいた事を避けようとする団員の心のやさしさに感銘を受けた。

しかし著者の執念が実ったのか幾つかの思い発言がメンバーからでる。

「私は常に自分の為に音楽を演奏してきた。指揮者のためではない。しかしもし私が自分以外の人間のために音楽をしたことがあるのなら、それはフルトベングラーのためである。」

強烈な尊敬と親愛の表明であろう。私は演奏行為は「自分と周りにいる人(観客)の為に弾き、作曲家への感謝の表明」だと思っているので、
「このオヤジ、エゴだな」と思いつつも、そんな思いを捧げられる
フルトベングラーのすごさを垣間見てしまう。

しかし、こんなセリフもある。
「私が入った頃、フルトベングラーのファンだったわけだが、先輩奏者にこう言われたよ、「お前はニキシュ(前任の指揮者)を知らんからなぁ」と。つまり、人が昔を懐かしむのは普通のことなんです。」

そりゃそうだ。


カラヤン、フルトベングラー、

どちらが偉大か?という問いに答えは無い。

しかしどちらの指揮者も人に昔はよかったと思わせるだけの偉大なカリスマを持ち、卓越した演奏をした事は事実であろう。我々の最大のライバルだったりもするのだ。

ほかにもはっとする言葉があるので、オーケストラ音楽好きなら読んで損なし。

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