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2009年1月

2009年1月26日 (月)

シュテュットガルト放響定期ファイナル2-2 ベルグはビブラートがお嫌い?

ノン・ビブラートのベルグはどうだったのか?

その前にソリストについて言及しておこう。

なぜならソリストはビブラートを使ってもいい人だからだ。

その人はダニエル・ホープ。

世界的名手であり、室内楽を愛し、現在ボザール・トリオのヴァイオリンもつとめている。

ホープはノリントンに言い放った。

「僕はトリオの時でもビブラートを意味も無く延々と使用したりはしない。

意味のある使い方をしたいからね。」

このセリフを裏切らない良く考えられたビブラートの使用であった。

色々なスピードとふり幅、そしてノン・ビブラートから入った後にかけ始めたりと、本当によく練ってあるのがわかる演奏。

そして所々ノン・ビブラートで弾いた箇所もあり、ビブラートを戻した時の効果は絶大であった。

素晴らしい演奏家である。

さて受けてったオケは小さい、細かいビブラートを使用。

勿論弦だけである。

管楽器は1930年代でも普通はビブラートの使用は無かったからだ。

それにしても恐ろしい事だ。オケの演奏は丸裸状態である。

音程の悪さだけでなく縦の線のずれも、はっきり聞こえてくるのが

ノン・ビブラートの恐ろしいところだ。

しかし彼らは見事に弾ききった。

特に三日目の演奏はアンサンブルが本当にぴたっと合い、

めったに聴けないほど精密な演奏が繰り広げられた。

ソリストとの呼吸もばっちりで、

「ノリントン何もしてないね」

と思ってしまうほどの完成度であった。

良い演奏ほど演奏家の存在感が消えるものだ。

この曲の持つ、レクイエム的敬虔さ、素朴さ、そして悲しみがバランスよくたち現れては

消えていった。

ここで前半終了。

休憩後はメンデルスゾーンの「宗教改革」

2009年1月17日 (土)

N響定期2009年1月デービッド・ジンマン指揮

ヴェーベルン パッサカリア

マーラー 交響曲第10番からアダージョ(クレネック版)

R.シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき

先週から引き続きでジンマンの指揮。

今回はダイナミクスの幅が前回よりも大きい。

ヴェーベルン冒頭のピチカートなど、殆ど聞こえないほどであったが、今回のプロでは、

やはり強弱のメリハリは効果的だ。

それでも強奏でも音をヒステリーに響かせないジンマン。

この辺が彼のバランス感覚の表れだろう。

だからと言って物足りないという事はない。

音量自体は十分ある。

あとは表現として、物足りないという人はいるかもしれない。

私は満足した。

しかもそのような響きの中でも、Massiveな音の塊にならない事に、驚きと喜びを感じる。

精密なヴェーベルン、

混濁しない、スカッとしたシュトラウスも素晴らしいと思う。

厚塗りのロマン派サウンドには縁が無い演奏であった。

マッチョさが皆無なのである。

こういう指揮者がベルリンとかシカゴみたいなマッチョオケを振るとどうなるんだろう。

生で聴きたいが、、

今回最大の聞きものは、マーラーであった。

ジンマン氏、現在進行中のマーラーレコーディングの10番は

カーペンター版を使用すると筆者に語ってくれた。

クック版はすこし、音が薄いから、カーペンターの方を好むというのが理由である。

しかし今回使用したのは昔から使っているクレネック版。

私はマーラーの10番はまったく知らない。スコアはマーラー協会版を参照した。

このクレネック版は協会版にうまく木管を重ねている。

いかにもマーラーらしい響きのするオーケストレーションで、感心した。

これを聴きながら協会版を見ていると、

やはりマーラー自身が演奏をしていたら改訂をしていただろうなと

思われるほど、オケの重ねが薄い。

ジンマン氏の話だとカーペンター版はさらに楽器が追加されていて、

打楽器がこのアダージォでも使用されているという。

大きくて派手な演奏を思考しているのだろうか?

しかしジンマンの演奏は派手とか巨大からは程遠いものだ。

基本がインテンポで、随所に微妙な溜めがあるのだが、

あまりに微妙なので基本のパルスが失われないため、インテンポで行っている様に

聞こえる。

この楽章は今回の演奏から得た印象は、非常に支離滅裂である。

一体これは悲劇の音楽なのか、希望の音楽なのかわからない。

気が狂った男の叫びであり、唐突に気分が変わる音楽であった。

その唐突さが、良く表現された演奏と言っても良いだろうか。

とにかく、これが私の10番への入り口となった事に変わりは無い。

俄然興味が沸いてきた。ちょっと調べてみよう。

最後になるが、練習番号26のところだけ、ハープが2台で弾いていたのは、

ジンマン氏の指示であり(筆者確認済み)、クレネック版では一台である。

やはりこの箇所はハープ一台では聞こえない。

2009年1月13日 (火)

デービッド・ジンマンとの会話(ごく一部ですが)

N響に客演したジンマンについて書こう。直接お話をさせていただいたので。

筆者(U)、「あなたのベートーベンやシューマンを皆知ってますから、シューベルトでどんな事をなさるのか、興味深々です。」

Zinman(Z)、「あのスタイルはトーンハレとしかやらないよ。客演の時は時間が短すぎるから。だからパート譜もボルティモア時代から使っている古いものだ。」

えーーーーーーーーーーーーー。ショック

でもとりあえず、プッシュしてみた。

U: 「でもN響は2年前ノリントン相手に3日で全部会得しましたよ。」

Z: 「そうかね。。。。」

Z: 「でも全部を突然変えることは出来ないよ。だってコンサートでは彼らに自分達の音楽をしているように感じて欲しいんだ。私のではなくね。」

それでも筆者のプッシュが効をそうしたかは解らないが、少しだけ、ほんの少しだけ、それらしい事を行った。ナチュラルホルンのハンド・ストップの問題とアーティキュレーションである。

結果は別に書いたので、読んでください。

他にも色々尋ねたのだが、明確な答えが返ってこなかった事がなかった。

すべてが良く考え抜かれていた。

オケに対する指示も一つひとつ丁寧に与えていたのが印象に残っている。

何処まで先に行くかは、オケ次第という事なのだろう。

「指揮者とは何か」に対する一つの尊敬すべき答えを持ち、実践する賢者、それが

David Zinmanである。

N響定期:シューベルト第8交響曲デービッド・ジンマン指揮

凄演のショスタコをうけてたつシューベルト。

会場の雰囲気を変えて欲しかったが、

そこまでの能天気さ、明るさは今回の演奏にはなかった。

弦楽奏者音符を非常に短く弾いていたので、各楽器が良く聞こえ、見通しが良かった。

勢いでおざなりにされる事の多いこまかい音型などもクリアーに弾かれていた。

テンポはどちらかと言えば、オーソドックスな、速すぎないテンポだったので、

もっと歌うかと思ったが、歌に堕ちる事もなく、言ってみれば、

中庸の美徳と理性が勝った演奏だったと思う。

演奏家が弾きやすいように、またそれにより、Richにオケが鳴るように、そして、

それにより、シューベルトが聞こえるように、コントロールしたのである。

煽ることなどは皆無であった。

興奮する演奏ではなく、感心する演奏であった。

各楽器間のバランスが見事で、ジンマンの古楽への造詣の深さを感じさせる。

次はマーラー、シュトラウス、ヴェーベルンである。

スコアが目に見えるような見通しの良い演奏が聴けるだろうか?

楽しみだ。

2009年1月12日 (月)

N響定期:ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第1番

リサ・バティアシュヴィリが彼女のストラドを弾いた瞬間から、

全神経が彼女に吸い寄せられた。

ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第1番の第一楽章はヴァイオリンソロによる独白

が延々続く。その最初の一音から最後の音まで、私は金縛り状態であった。

楽章が終わった時、会場には緊張感が張り詰められていた。

無音になってなお、動く事、咳払いをする事は出来なかった。

完全なる静寂があった。

リサ・バティアシュヴィリは我々を別世界へ連れて行ったのである。

この第一楽章だけで私には十分だった。これ以上今日は要らないと思った。

第2楽章は軽いスケルツォだから大丈夫と思っていたら、、、

グロテスクなスケルツォだった。

暗くて、重かった。

その後第三楽章で私はさらに深く沈まされた。

一体何処まで持っていかれるのだろうか?

リサ・バティアシュヴィリは私を暗黒の、慟哭の世界へと誘った。

落ちるところまで、落ちた。

終楽章はもうほとんど聞いていなかった。

リサ・バティアシュヴィリの凄まじさに完全にKOされてしまった。

リサ・バティアシュヴィリの音は明るさや華やかさには縁が無い。

それは鉛の色である。渋い光を発する色である。

触らなくても、近づいただけでこちらが切られてしまう、

そんな冷たい鋭さの極致のような音である。

後プロのシューベルトの明るさ、Positiveなエネルギーを持ってしても、

私はこの夜、人間界に戻ってくるには時間が要った。

友人が一緒でなければ恐らくは、今でも放心しているかもしれない。

恐ろしいバイオリニストが現れた。

2009年1月11日 (日)

シューベルトの"Great"交響曲

本日N響定期で聞きました。

最後にこの曲を聴いたのは、もう5年くらい前だと思う。

その頃には気づかなかった事を今回は多く発見した。

その一つに、この曲の後世への影響がある。

ブルックナーやシューマン、メンデルスゾーンが聞こえる。

またモーツァルトのオペラのような箇所もあった。

しかもシューベルトがあれだけ尊敬しているベートーベンは聞こえてこない。

いや、いみじくも「第9」の引用があるので、聞こえてはいるが。

シューベルトがこの曲でベートーベンとは別の世界へ完全に行ってしまっているのが

良く理解できた。

また終楽章はドボルザークの新世界なみに4barフレーズの連発で、ある意味

ものすごく単純である。

が、新世界のように飽きが来ない事は特筆されていいと思う。

あと冒頭のホルンソロの後、木管によってこの主題が繰り返されるのだが、

弦を無視し、木管だけを取り上げて、内声を良く聞くと、

コラールのように聞こえる事に気がついた。

もしこれがコラールなら、終楽章での「第9」の引用は、

シューベルトの信仰がベートーベンにあることを宣言している事にはならないだろうか。

にもかかわらず、シューベルトがベートーベンの影響を感じさせない曲を

作曲している事に驚きを禁じえないし、尊敬の念を新たにしたしだい。

2009年1月10日 (土)

シュテュットガルト放響定期ファイナル2 ベルグはビブラートがお嫌い?

Berg Violin Concertoの話。

Bergのこの曲は1935年に作曲されている。

Sir Simon(ラトル)が私に尋ねた。

「Sir Rogerは私達がビブラートを使うのを許してくれるのかな?」

私は答えた、「ちょっとね。」

1935年作曲であれば、当然オケでもビブラートは普通に使われていた。

ただし、これは弦楽器の話だ。

管楽器は抵抗していた。彼らはビブラートの入っていないストレートな音で勝負していた。

これらはCDなどで容易に確かめられる。

さて、Bergはどっち派だったのだろうか。

ビブラート好き派?嫌い派?

シェーンベルグは嫌いだったらしい。

ストラヴィンスキーも嫌いだったらしい。

それでも時代の波にはかなわなかった。

ビブラート使用は普通になった。

さて、この協奏曲には面白い指示がある。

non vibr (ビブラート無しで)。

見落としがなければ、都合8回出てくる。

(以下mは小節を意味します)

第一楽章

m.28 2nd Vn & Va

m.161 strings(直後にvibrの指示)

第二楽章

m.43 Vn

m.136 Va

m.140 2nd Vn

m.158 2nd Vn

m.164 Vc

m.208 1st Vn

お気づきの方もいると思いますが、不思議な事にこのnon vibrの指示は

弦楽器にだけ与えられているんだ。

管楽器にはこの指示はない。

なぜだろう?

勿論管楽器には必要が無い。

なぜなら冒頭に書いたように、彼らはビブラートを使用していなかったからだ。

Bergはnon vibratoを表現の手段として使ったのだろうか?

つまり、ここはビブラートを使わないのがエスプレッシーボ、、、と

だとすればベルグはあの時代にあって相当に斬新であろう。

私は寡黙にしてそのような他の例をしらないし、

ビブラートが嫌いだったシェーンベルグもストラヴィンスキーも、私が知る限り、

non vibrという指示を使っていない。

マーラーは逆にヴィブラートと書いた箇所がある。

ベルグはその逆でと言う事になる。

ほんとにそうなのか?

こう考えることはできないだろうか。

つまり、Bergは彼の師匠と同じく、ビブラートが嫌いであった。

しかし、ビブラートの使用が普通になってしまったため、やむなく、

ここだけは使って欲しくないという箇所にnon vibrの指示を入れた、、、と。

つまり、ベルグのnon vibrの指示は

弦楽器奏者はヴィブラートを普通に使用していたという事実

管楽器は使用していなかったと言う事実

を証明し、かつ、

彼自身はビブラートが好きではなかった

と言う事を示唆するものなのである。

私にはどちらが正解かはわからない。

解っている事はノリントンは後者の立場である。

つまり、「あんまり使って弾かないように」とオケには申し渡した。

その演奏は、、、、、

次回に書きます。

追記:non vibrを使用している例を他にご存知の方は教えてください。

ビブラートの受容を知るヒントになりますので。

宜しく御願いいたします。

2009年1月 9日 (金)

わかめ

「wakame.JPG」をダウンロード

妻の実家から自家製キムチ18KGと巨大なわかめ(写真参照)が送ってきた。

写真のがわかめです。

取ったわかめをそのまま干しただけのわかめ。

私の身長より長い。

韓国では出産後、おかぁさんは向こう3ヶ月わかめスープだけで過ごすのが普通らしく、

このサイズのわかめも3ヶ月でFinish!するそうです。

自分には10年分のわかめにしか見えんが、、、

とりあえず、砂だらけのわかめを洗い、スープにして食べました。

濃厚な味わい。

本当にわかめか、、、これ、、、

勿論うまいです。

このサイズで1万円しないと言うから、安いね。

Let's go Korea and enjoy eating!

2009年1月 6日 (火)

ハイドン・イヤー Haydn Year

Dear All

this year 2009 is Haydn year!  I love Haydn as a matter of fact, I think that he is

greater than mozart. Don't u think?

Haydn's pieces are so humorous and dramatic. 

It is always unpredictable and surprising..

Let's play Haydn this year.  Try some early symphonies like no.49 and 50.

you'll enjoy them. I gurarntee you!

今年はハイドン・イヤーです。

私はハイドンが好きでね。

ユーモアもあり、劇的でもあり、予想を裏切るトリックあり、

そして常に喜ばしい驚きがある。

モーツアルトより上に思えるんですね。

だいたいこの国のモーツアルト信仰はちょっとすごすぎだな。

クラシック聞かない人でも「モーツアルトが一番の天才なんでしょう」

みたいな事言ってくるからね。

他所の国ではこう極端ではないですよ。

一人一人一番が別々の一番がいますよ。

日本の演奏家は判で押したように「モーツアルトが一番難しい」って言うよ。

驚きです。

それはさておき、ハイドンです。

本当に面白いんです。

つまらない演奏が多いのは認めます。

でも演奏したらたまらないと思うし、

エンターテイメントとして聞いたら、随一の面白さだと思うんだけどな。

映画見ているみたいに面白いよ。

とりあえず交響曲なら49番・50番あたりを聞いてみてください。

ただくれぐれも、崇高なものを聞くとか思わないでください。

能動的にどきどきしに行ってください。

エンターテイメントです。

宜しく

Laus Deo

2009年1月 4日 (日)

迎春

新年明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

今年も宜しく御願いいたします。

妻のご両親が12月31日より日本に滞在しております。

みんなで箱根へ行ってきました。

おかげで、

休んでません

温泉はよかったですね。

露天風呂なんて何年ぶりだろう?

新婚旅行以来だな。

まぁ日本にいなかったんだからしょうがない。

朝風呂

よかったっす。

食事もうまかったっす。

次回は強羅付近に宿を取ります。

強羅付近からその奥にすべてアトラクションがあるとは思ってもいなかった。

湯本からだと

とお~~~~~~~~~い。

あと、車で行かない人はかならず

箱根フリーパス

を買いましょう。

便利で超お得です。

芦ノ湖

きれいだったな。

次は

御殿場まで足を伸ばそう。。。。。

勿論、、、OUTLET!

買い物!

妻がね。

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