フォト
無料ブログはココログ
2021年3月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009年5月28日 (木)

毎日かあさん

by 西原理恵子

西原女史の漫画を初めて読んだのは、思いおこせば高校時代、

部活(吹奏楽部でパーカスでした)かマァジャンの事しか考えてなかった

あの時代。

幸い?その後まぁじゃんに出会う確立が非常に低い国に引っ越してしまったから縁が切

れたが、もしあのまま日本にいたら今頃は、、、、雀プロになっていたかも、、、、

というくらい入れ込んでいた。

したがって某竹●房の近○麻●ゴー◎ドであの、、あの

まぁじゃんはうらうき(このようにしか書けない、あぁ、、、)

でした。

窒息、いや本当にちっそくするほど笑ったものです。

東急池上線のなかに入ったら読んではいけない漫画ナンバーワンだったっけ。

あの自分を破滅に持っていっているとしか言えないパワーに圧倒されたっけ。

そんな女史が今、母になり、毎日かあさんを書いている。

あいかわらずのドライギャグが炸裂しているのに、子供への目線がやさしく、

彼女の愛情を感じさせてくれる漫画になっている。

やさしい眼差しは女史のもつもうひとつの面だが、

「毎日かあさん」では両方の特徴が美味く混ざり、絶妙な味になっている。

自分もはやく「毎日とおさん」になりたいものだ。。。

2009年5月26日 (火)

マーラー「嘆きの歌」初版

マーラー作曲の「嘆きの歌」初版が演奏されます。

ちょっと見た限りでは現在この版のCDはケント・ナガノの一種のみ。

もしあったとしても、この曲はめったに演奏されません

ひとえに巨大な合唱が必要でありながら、出番が少ないため、コスト・パフォーマンスが高い事に起因すると思われます。

ですからライブで聴く大変貴重なチャンスです。

私事を少々。

この曲の改訂版は10年位前、まだ学生の頃にコーラスに参加して歌いました。

場所:Avery Fisher Hall

演奏:American Symphony Orchestra

指揮:Leon Botstein

ドラマティックな曲で、出番が少ない事などはどうでも良く、マーラーの音楽を

楽しみました。若書きの曲とは言え、充実した書法と時々でる、

みょーなハーモニーがナイスです。

初版と現行版、どう違うのか楽しみです。

2009年5月31日(日) 

東京芸術劇場 

午後2時開演予定

オンドレイ・レナルト指揮 

東京フィルハーモニー 

吉原圭子(S)小川明子(A)児玉和弘(T)成田眞(B)

S¥5,000  A¥4,000  B¥3,000

2009年5月24日 (日)

let's use vibrato

ヴィブラートについてはすでに何回か書いた。

http://dialzero.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_5fa2.html

http://dialzero.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4087.html

http://dialzero.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_63cf.html

しかし私はアンチ・ヴィブラートではない。

ビブラートは適切に考えて使用されるべきだと言っているのです。

昔リハーサルでこんな事がありました。

私「そこビブラート無しで弾いてね。」

ヴァイオリン奏者「使ってないよ。」

私「今使ったじゃん。」

奏者「NO!」

という押し問答がありました。

困ったもんです。

自動的なんですね。

意識して使ってないんです。

これでは、自分の音に耳を傾けていないのと一緒です。

確かに、相手の音、周りの音、他の奏者がやっている事に耳を傾けるの大事です。

しかし、自分の事を忘れるのは論外でしょう。

こういう全自動ビブラート・マシーンの方は結構いらっしゃいます。

自分のビブラートが本当に美しいか、曲想に対し適切なスピードとふり幅なのか、

そして、使用しない場合はどうなのか、探求する事はないでしょう。

でもまぁ、オーケストラで弾いている場合は、、、セクション、そしてオケ全体との整合性やバランスも配慮しなければなりません。したがってとりあえず、全員思い思いのビブラートを使用する事によって最初から整合性を度外視し、各楽器の音をブレンドさせるという方向をとるのは、オーケストラという団体(巨大な)の場合は一つの解決方法かもしれませんね。

しかし勿論その逆、つまりノン・ビブラートで全員が弾くのもありでしょう。

この場合は整合性があります。全員同じ事をするわけですから。

しかも各楽器の音の個性が立ちます。ブレンドは難しくなります。

不可能ではありませんが。

そしてこの場合、いつビブラートを使うかは、

1.指揮者が決める。

2.オケ全体での合議制で決める。

になります。

オケ側から提案してくる時代がいつかくるといいなぁ。

でもとりあえず、指揮者が、解釈の一つの要素として、ビブラートの使用法を考えてみるべきでしょう。

例えば

ベートーベンの交響曲第5番第一楽章。

ノン・ビブラートで始めます。

そして再現部オーボエの可憐なソロ(268小節目)で、

オーボエにはおもいっきりかけていただきたい、

嘆きのヴィブラートを!

逆もありです。

チャイコの6番。最初の3楽章はビブラートありで演奏し、

終楽章では使わない。

あの終楽章の他の楽章との異質さはこれによりさらに強調されます。

そして意味論的にも変わってくるでしょう。

この2つの音響世界を行ったり来たりする事によって、引き出しが増えますよね。

如何ですか?

2009年5月17日 (日)

ニコライ・マルコ指揮者コンクール

http://www.malkocompetition.com/progress/video-gallery/day-2

こちらで予選の様子が見れます。

第一次予選の模様を見たときに目をつけた2人が決勝に残りました。

(実際には海老原さんは決勝に残っていません、間違えました。しかし以下に書いた事は本当にそう思っています。なんで海老原さんが勝たヘンネン!!!)

特に海老原光さんという方、多分優勝するでしょう。

理由は、、、こういっては変かもしれないが、

線の太さが違う。

オーケストラの鳴りが違うのである。

決勝はブラームスがメインだからこれは大きなプラスだ。

そして彼は指示を出しながらリハができる。

しかも、もっともロマンティックだ。

課題の現代音楽でも、かなり濃厚な表現をしていた。

これもプラスだ。

妙な失敗をするとも思えない。

それにしてもこうして色々な指揮者を見れるのは嬉しいし、勉強にもなった。

そして思ったのは、、、

時代が完全に変わった

という事だ。

戦前生まれの巨匠指揮者の影響を微塵も感じさせない指揮者たちが

ここに集まっている。

海老原さんなどは巨匠風のテンポを取ったりしているけど、やはり違う。

音が、響きが、歌わせ方が、指揮姿が、

全然違う。

別の世界だ。

新しい世界だ。

新表現主義演奏時代の到来。

2009年5月 7日 (木)

Dover版

Doverと言えば、言わずと知れたReprint会社である。

しかし時々素晴らしいオリジナルを出版したりする。

知らない方もいらっしゃるだろうから、書いておきたい。

Dover版のヴィバルディのスコアはDoverのオリジナルであり、校訂報告もしっかりしたものがついている。

大きいスコアであり、見やすく、かつ信頼できるものになっている。

しかも、パート譜が無料でダウンロードできるのです。

http://scores.ccarh.org/

しかも、行けばわかりますが、このサイトはヴィヴァルディ以外の作曲家のスコアやパーツも提供しています。

ヴィヴァルディ以外の作曲家のものがどれほど信用できるものなのかは校訂報告等が無いので、生憎存じませんのであしからず。

でも綺麗で見やすいです。ちょっと無機的ですが、、、、

ヴィヴァルディはこれで決まりだと思っています。

2009年5月 3日 (日)

バッハ作曲「シャコンヌ」 解釈

21世紀の解釈:

バッハ作曲無伴奏ヴァイオリンによるシャコンヌの解釈について

レイモンド・エリクソン(Raymond Erickson)著

 ダンス(舞踊)がバロック期の音楽・社会において重要な役目を負っていた事は良く知られています。特にフランスにおいては特にそれが顕著であり、ダンスは劇場用のプロダクションにおいても不可欠なものとなっていました。しかしダンスの歴史研究(History of Dance)というのは新しい研究分野である事から、比較的最近まであまり我々のダンス・ミュージックの理解を深めるような研究結果は発表されていませんでしたしかし

Natalie Jenne and Meredith Little 共著

Dance and the music of J. S. Bach

(Indiana University Press, 1999; expanded 2001)

この特筆すべき本の出版により我々音楽家はバッハが知っていたダンスのキャラクター(性格)や振り付け等を知る事ができるようになりました。ここにはこれらのダンス・ピースを演奏する時にこれらの情報をどのように活用すべきかの提言も含まれています。このようなDance Historian(ダンス歴史学者)の研究成果によって、私はバッハの無伴奏パルティータBWV 1004ニ短調の最終楽章Ciaccona

(チャッコーナ)はダンス・ピースである事を第一義において解釈すべきである事を徐々に信じるに至りました。

   このモニュメンタルな楽章は通常はそういったダンス的な要素を鑑みられる事無く、抽象的なイメージのもと、変奏曲として演奏されますし、それが何世代ものヴァイオリン奏者達に受け継がれてきています。さらに言えばバロックヴァイオリン奏者にしても、多少速いテンポを採用する傾向があるものの、ダンスの要素を取り入れた解釈を示す事はありませんでした。上記の本の作者達すらも、Ciacconaにはダンスの要素は殆ど無いと言っています。

   しかし私は情熱的な生徒達と実験を重ねてきました。その結果はこの曲が複雑なテクスチャーと非ダンス要素等を含む多様性を持った曲であるにもかかわらず、この曲の最も基本となる要素は、フランスの舞台演奏で用いられたパッサカリア(The French theatrical passacaille)であると結論づけるのに十分な説得力を持っていました。ですからテンポやスタイル、アフェクトはその事を反映させるべきです。このような要素を取り入れた演奏は従来の演奏で聴かれるものとはまったく違ったものとなりました。

   まず我々はリュリ(Jean-Baptiste Lully)の影響の大きさを過小評価するのをやめるべきでしょう。リュリは18世紀からごく最近まで完全に忘れ去られていましたが、彼こそはヨーロッパの音楽史注もっとも強大な影響力を持った音楽家の一人でした。特にドイツ(バッハが住んでいた世界)ではこの事は顕著でした。フランス・スタイルの序曲やダンス曲の数々が物語っていますし、バッハもそれらを作曲し、また(言うまでも無い事ですが)ダンスの要素が取り入れられながらもダンスのタイトルが付いていない曲を数多く作曲しています。これらがドイツのプロテスタント世界においても、フランスの舞台芸術やダンスが大きな影響を及ぼしている事を証明しています。さらにバッハに関連して言うなら、強調したい事があります。すなわちバッハが無伴奏ヴァイオリンの曲を仕上げた時の雇い主であったケーテンの音楽好きな君主レオポルト候が1710-1713年行ったツアーの際に購入した品々のリストのなかで、唯一曲名等が表記されているのはリュリのオペラ「フェアトン」(Phaeton)だけなのです。これは1711年7月21日にアムステルダムで購入されています。この事一つとって見ても、如何にリュリが高く評価されていたか、そしてバッハの居たケーテンで高く評価されていた事がわかります。

   さて、リュリのパッサカリアの中でもっとも有名なのは歌劇「アルミーダ」Armide)からのものです。この曲をレオポルト候がオランダに滞在した六ヶ月の間に購入した楽譜のなかに含まれていたかどうかはわかりません。確かな事はその頃アムステルダムで出版された

Ouverture Chaconne & tous les autres Airs à joüer de l’Opera Armide par Mr. Luly

(リュリ氏のアルミーダから序曲、シャコンヌそしてアリア等)この楽譜をレオポルト候は知っていたという事です。しかしたとえ「アルミーダ」の楽譜をレオポルト候が持ち帰っていなかったとしても、「アルミーダからのパッサカリア」は当時のスーパーヒット曲でした。数々の出版や、オペラ全体のスコアも多くのコピーが存在していますし、さらに約30に及ぶ別の手書きのスコア、そして少なくとも6つの編曲版(チェンバロ用が多い)が存在しています。この編曲版のなかには、ダングルベール(D’Angelbert)による物が含まれます。1689年にパリで出版されたダングルベールの「クラブサンの為の曲集」

(Pieces de Clavecin)の中に含まれているのですが、この曲集バッハ知っていました。この曲集の中の装飾音の表を幾つかを彼自身の

「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの為の鍵盤曲集」

Clavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach)のなかで使っているからです。

   「アルミーダ」がバッハにチャッコーナを作曲させるインスピレーションで無かったとしても、両曲には共通する点があります。それは曲の大きな構成や下降短調テトラコード上の対変奏(Paired variations)、そして曲中に散りばめられている舞曲としての要素です。さらに 長調―短調―長調 という調性によるセクション分割もフランス音楽の特色です。私のようなチェンバロ奏者にとってはルイ・クープラン(Louis Couperin)のト短調パッサカリア(Passacaille)が直ぐに頭に浮かびます。ですからバッハがイタリア語のタイトルを使用し、幾つかのイタリア式変奏術を使用しているにもかかわらず、上記の特長と曲全体の印象が、この曲のモデルは17世紀のフランス・スタイルの曲であるという事を示しています。

   タイトルについて考える事は専門用語のパンドラボックスを開けるようなもので、アレクサンダー・シルビガー(Alexander Silbiger)がすでに幾つかの論文

articles)で論じています。(因みにシルビガーは「アルミーダ」をバッハは知っていたと感じているようですが、影響という点に関してはカンタータ第78番の可能性が高いと思っています)。シルビガーによれば、passacaglia, passacaille, ciaccona, そしてchacconeという用語は交換使用が可能でした。私はこれを論破するつもりはありません。しかし言い添えたい事として、リュリは習慣としてPassacailleとイタリア式Passacagliaを違うものとして認識していましたし、Passacaillechaconneとは違うものとして普通に認識していました。もう少し細かく言いましょう。リュリのオペラからの4つのPassaccaillesの内3つが短調です。

リュリ存命中の文献によれば、これらの曲は長調で書かれる快活なChacconeよりも遅いとあります。レベッカ ハリス-ウォーリック(Rebecca Harris-Warrick)は「フランス・バロック・ダンスの振り子によるスピード表示の解釈」Historical Performance 6/1, Spring 1993所蔵)のなかで以下のように語っています。「フランス(18世紀初頭の)では明確にこの2つのダンスにはテンポの違いがあり、シャコンヌは約2倍速かった」と。これらの違いを示すもっともドラマティックな例はシャルパンティエー(Charpentier)の曲、ミデー(Médééの中にあります。つまり、快活で長調で書かれたシャコンヌの後に遅い短調のパッサカリアがくるのです。さて以上のような理由からバッハのチャッコーナ(chaccone)の本質を言い表す単語はPassacailleだと思われます。勿論、チャッコーナ(Ciaccona)が2拍目から始まるというシャコンヌ(Chaconne)の特徴を持っている事は確かですし、リュリのパッサカリアは全て1拍目から始まるのも事実です。しかし私にとってこの事はあまり重要に思えません。なぜならかなりの数のリュリのシャコンヌは2拍目から始まらないからです。

   ではなぜイタリア語表記なのか?シビルガーがすでに証明している通り、用語の使用には柔軟性がありました。つまりCiacconaは選択可能な幾つかの単語の一つにすぎなかったのかもしれません。また鍵盤楽器のためのフランス組曲のクーラント(Courante)も、その作曲スタイルから言えばイタリア語のコレンテ(Corrente)のほうが妥当なのです。つまりバッハ自身この辺の用語の選択に関しては案外厳密では無かったように思われます。そして忘れてはならないのは、バッハのチャッコーナ(Ciaccona)はフランス・スタイルの舞踊組曲の一曲であるにもかかわらず、全体としてはパルティータというイタリア語で書かれたセットのなかに含まれているという事です。

   以上全ての事はバッハのチャッコーナ(Ciaccona)を演奏するに時に、大事な事を示唆してくれます。フレンチ・ダンスの調査によれば、リュリ式パッサカリア

Passacaille)のテンポは90-105の間でシャコンヌ(Chaconne)は

120-160の間だとしています。

(以下参照:〈Klaus Miehling著、「Das Tempo in der Musik von Barock und Vorklassk」、出版:Wilhalmhaven: Florian Noetzdel Verlag “Heinrichshofen Bucher,“ 1993〉と〈Alexander Silbiger著、「Chaconne」、ニューグローブ辞典改訂版〉)

しかしリュリのパッサカリア(Passacailles)は4分音符と8分音符がメインに使われ、ところどころ32音符が使われますがバッハのこの曲では、16分音符がメインに使われ、しかも32分音符も豊富に使われます。さらに言えば重音も頻繁に使われます。バッハの時代の教則本によれば、小さい音価(訳者注:16分や32分音符や64分音符)が多く使用された場合はテンポに自然なブレーキがかかります。つまりダンスとしてのキャラクターを残しつつこのチャッコーナを弾くとすれば、テンポは4分音符=86ぐらいになるでしょう。このテンポは実際のダンス・ミュージックのPassacaillesとしてはちょっと遅いですが、それでも通常とられるテンポよりは速いでしょう、少なくともオープニングに関しては。テンポのサンプルとしてCDから得られたテンポはイツァーク・パールマンの4分音符=38からトーマス・ツェートマイヤーの74(モダン・ヴァイオリン奏者)で、クリストフ・ポッペンの44からルシ・ファン・ダールの68(バロック・ヴァイオリン奏者)でした。(真のパッサカリア(Passacaillesテンポを採用するのは問題外なのは言うまでもありません。)しかしここで本当に検討したい問題はテンポではありません。そうではなく、如何に舞曲としてのキャラクターを、説得力をもって伝達するかです。その為にはまず、チャッコーナに対して深く抱かれている曲の意味、つまり厳格性や悲しみを宿した曲というようなイメージと、それに伴う非常に表現的なテンポの変動をやめ、エレガントな舞曲として軽やかで、一貫性のあるテンポで演奏する事が必要です。だからと言って私はこの曲のヴィルトオーゾパッセージに内包するダンス感を否定はしません。この曲も他の多くのバッハの曲と同じように、多くの要素が混ざり合って出来た独特の合成物だからです。ですからここでの問いは、一体どの要素がこの曲全体のキャラクターを決めるのかという事です。

   私はチェンバロ奏者ですから、ピリオド楽器と演奏する事を好みます。しかしモダン楽器に研究の成果であるバロック時代の演奏習慣(ピリオド奏法)が使えないわけではありません。実のところ私がここで論じている事は、バロックヴァイオリンを(殆ど)弾いた事がない生徒との共同作業を通して発展したのです。現代のトルテ弓(1790年頃より現れます)は本当に素晴らしい道具(tool)なので、バロック弓で自然に得られるアーティキュレーションも、トルテ弓で得ることが出来ます。モダン楽器の奏者がそのような方法を取る事を考えてこなかっただけの話です。しかし優れたヴァイオリン奏者が練習をするならば、旋律線(the musical line)を重い下げ弓と軽い上げ弓を用いて拍節感の区別つけて発音できるようになります。音量の為の音量という呈の大音量で弾く事をやめれば無駄な緊張は和らげられます。バッハのアーティキュレーションの指示を本当に忠実に再現すれば、自然な結果としてリズムの魅力が立ち現れます。そしてビブラートの過度の使用はスタイル的に不適当であるだけではなく、テンポを遅くさせる傾向にあります。まったく使用しない方が良いでしょう。しかしビブラートを使用しない場合は弦も何とかしなければならないでしょう。現代のスティール弦の固い音はビブラートによって美しく響くようになるからです。ですからガット弦の使用をお勧めします。全部でなくても結構ですがその場合は特にEA線への使用を推薦します。D線とG線用には(ガット弦でなければ)オブリガート」(Obbligatoいう名前の新しい合成弦が売られています。ガット弦の良さを持ちつつスティール弦の悪さを排除した弦です。しかし誤解しないでください。一番大事なのはどの楽器・道具を使うかではなく、どのように弾くかです。

   最後に、ダンス歴史学者と仲間のダンサー達に感謝を捧げます。そしてフランス・バロック音楽特有のスタイルとその豊穣さを我々に気づかせてくれた音楽学者達と失われた過去の演奏技術を復活させた演奏家達にも感謝します。私達はこの偉大な曲、バッハのチャッコーナを、21世紀において20世紀に解き明かされた新しい知識を持って再解釈するポジションにいるのです。確かにそれは過去に深く根ざした伝統をあきらめる事になるでしょう。しかし伝統とはなんでしょうか。

シェーンベルグがルーカス・フォス(Lukas Foss)に言った言葉を引用させてください。

「伝統とは我々が愛すると同時に、断念しなければならない故郷である。」

      (Tradition is a home we must love and forgo

訳者あとがき

本稿は2003年春のアメリカバッハ協会ニュース・レターに掲載された論文

Toward a 21st-Century

Interpretation of Bach's Ciaccona for Solo Violin, BWV 1004/5

の翻訳になります。

著者のErickson教授のご許可を頂き、翻訳しました。

Erickson教授は現役のピアニスト・チェンバロ奏者としてアメリカのみならず、

ドイツでもリサイタルを数多く行っています。また当然の事ながら本稿のチャッコーナに

ついてのレクチャーや、モダン楽器によるピリオド奏法のマスタークラス等も行っていま

す。

Aaron Copland School of Music, Queens College CUNY

及び

CUNY Graduate Center

で教鞭を取られております。

あとがき2

翻訳とは難しいものだと思いました。直訳すれば良いわけではないという事はわかっていたものの、では何処まで意訳するのかという線引きが難しかったです。
結局なるべく直訳しつつ、どうしても意味不明になるところだけ意訳しました。その為、読みやすく無い文章となってしまいました。勿論私の文章力の欠如が問題である事は言うまでもありません。
誤字・脱字についてはわたしの責任であります。
ご指摘頂ければ修正いたしますので、ご一報ください。
日本語として読みやすい論文にするための編集を随時行っていくつもりです。

2009年5月 2日 (土)

「マタイ受難曲」

manuscriptの閲覧・ダウンロードが無料で出来ます。

http://imslp.org/wiki/St._Matthew_Passion%2C_BWV_244_%28Bach%2C_Johann_Sebastian%29

こちらにアクセスしたら、Composer's Manuscriptというのを探してください。

Parte Prima 

Parte Secondo

に分かれています。

こんなものがネット上で無料閲覧が出来る時代。。。。。。

嬉しいやらなんやら、、、、、

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »