フォト
無料ブログはココログ
2021年3月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

« モーツァルトの未発表曲、オーストリアで初披露 | トップページ | ハイドンを楽しむための序論: 交響曲第100番「軍隊」第一楽章の序を使って »

2009年8月17日 (月)

のだめカンタービレ第22巻

ついに出ましたね。

一年間待ちに待ったのだめの最新刊。

不覚にも、他の方のブログを読んで発売されているのを知りました。

早速買って読みました。

のだめの気持ちが痛いほどわかります。

コンサート後の虚脱。

もう出来ないという想い。

21巻で千秋とルイのコンサートを聞いた時、彼女は理解してしまったんですね。

幼い頃から音楽をずぅっと勉強・演奏して来た2人と

自分の経験や知識の差というものを。

パリに来て2年、彼女はおよそ音楽の事だけを考え、練習し、努力してきた。

だから多少の自信・自負心もあったでしょう。

それがあえなく崩れ去ってしまった。

追いつけないと思ってしまったんじゃないかな。

実に不思議なことに彼女は自分の才能とかを客観的に判断することが無い。

つまり、出来る、出来ないではなく、「やる」の二文字しかない。

そしてもう「やれない」という限界に来てしまった。

そしてオクレール先生の言葉。

「何があっても音楽とともに生きるという覚悟」

本格的な勉強を遅く始めた人間にとって、これは絶対に必要な覚悟です。

子供の頃から練習していて、ごく自然にプロの道に入っていった奏者にとっては

こういう覚悟をする必要は無いわけです。

しかし、ふと思います。

のだめは「何があっても音楽とともに」生きてきたし、これからも生きるだろうと。

ただ、その生き方が、クラシック業界の普通の生き方とは違うだけだろうと。

そして違うからといって彼女の生き方に価値が無いわけではないと。

そしてもっと多くの人が、彼女のように、音楽(ジャンルは問わず)や芸術とともに

生きていけたらなんて素晴らしい事だろうと。

実際の所、昨今のプロ・アマの分業制は少し行き過ぎだと思います。

東京にはアマ・オケが200くらいあってアマチュア奏者の数は多いけど、

そういうことでは無く、すべての人間が何らかの形で、芸術から精神の糧を

得るような、また得る術を得られるようになったら良いのにと、思うわけです。

私は音楽家だし、クラシックを生業にするわけだから、クラシックの魅力を伝えたい。

リスニングもそうだけど、もっと多くの人が楽器を演奏して、簡単な室内楽を家族で演奏

するような時代を作りたい。

そうすれば、のだめのような超天才を受け入れる器がもっとできるのでは無いかな。

ただ悲しいのは、のだめが、「音楽と向き合う」という言葉の本当の意味を、

理解しない・したくないという事。

ただその一点だけが、悲しく響くのです。

J.S. Bach - St. Matthew Passion "Aus liebe"

愛ゆえに 私の救い主は死に瀕しておられる。

主は何らの罪も知らずしてただ永遠の滅びと

審判の刑罰が私の魂にふりかかることがないために

« モーツァルトの未発表曲、オーストリアで初披露 | トップページ | ハイドンを楽しむための序論: 交響曲第100番「軍隊」第一楽章の序を使って »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

のだめは読んだ事ないからよく解らんが…おもしろそうだね。
ちなみにアニメは持っている。
観てないけど。(笑)

発売されたのですか!
わたしも読まなければ。
ちょっと悲しい展開になっているようだけれど、楽しみです☆

italicaさん、

あんまりまじめに考えず、笑ってやってくださいね。そうすれば面白いです。
こんな奴、、、、なめんな~っとかはなしでね。

シンバルさん、

20巻あたりから読むと余計に話が痛くて良いと思います。

楽しんでください。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: のだめカンタービレ第22巻:

« モーツァルトの未発表曲、オーストリアで初披露 | トップページ | ハイドンを楽しむための序論: 交響曲第100番「軍隊」第一楽章の序を使って »