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2010年1月 8日 (金)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81①

ロベルト・シューマンが書いた唯一のオペラである本作品は序曲こそ演奏されるものの、

オペラそのものはめったに上演されない。

オペラ全曲の録音も少なく、

CDではアーノンクールの輸入版が手に入れやすいくらい。

DVDも一つしか知らない(これもアーノンクールの指揮、オケは別)。

しかし序曲は別で、色々と録音もある。大好きな曲だ。

あらすじは大変申し訳ないが、ネット上で探していただくとして、

なぜあの19世紀孤高の天才、今年目出度く200歳になるシューマンのオペラが

人気がないのか、音楽の面から考えてみたい。

最大の問題点は『華』の部分が無いことだろう。

したがってメリハリに欠ける。

最初の70分の間に聞かせどころとなるようなアリアの2つくらいはあっても良いのだが、

ない。

いや、アリアやデュエットはあるにはあるのだが、

それはなんというか、、、、

あまりに内向的というか、

盛り上げる事を考えてないというか。

ハイCで絶叫!みたいな見せ場も無い。

美しいか?と問われれば、YESなのだが、

では思い出せるか?と問われれば、NOになってしまう。

リートの世界に寄りすぎと言えば良いのだろうか。

ちなみこのオペラの一番最初の音楽、序曲が終了し本編が始まるときに流れる音楽は、

コラールである。

初めて聴いた時は度肝を抜かれた。

こらーる!!!

バッハのカンタータじゃぁあるまいし、オペラにコラールって、、、しかも冒頭に。

あえて言えば、このコラールがこの後くる音楽すべてを象徴しているのかもしれない。

シューマンが言っているかのようだ、

『いかにもオペラ(イタリアオペラ)みたいなものは来ませんよ。

それはドイツの精神性に反するからね』と。

コラールによって生み出されたある種の厳粛性がペダルトーンとして常に、

オペラ全体を貫いているようだ。

したがって、 アリアが終わったところで拍手を入れるを一瞬躊躇してしまうのだ。

オラトリオを聴いているかのようだ。

ワーグナーの音楽なら、メリハリなど無くても、

圧倒的なパワーで持っていかれる。

シューマンにはそれもない。

あくまで繊細な音楽の集まりだからだ。

第2幕の終わりはオペラティックで緊張度も高い。

そして第3幕第一場はそれまでのが嘘のように、オペラ的充実度は高く、

この作品の白眉と言って良い。

しかし待たされすぎだ。

ここまで来るのにすでに1時間以上経っている。

全体のほぼ半分だ。

そして、全編を通じてやはり、

暗いなぁ~。

第4幕第1場のゲノフェーファのアリアは本当に美しい。

ここには恍惚とした響きが、、、、

そしてエンディングだが。

なんと神への賛美とコラールで終わるのだ。

いや、それは正しくない。

一応、最後はゲノフェーファと主人ジークフリートを褒め称えて、景気良く終わろうとする。

しかし、私の耳には、それは本当に取って付けたように響く。

コラールで終わればよかったのではないか?

そうあれば、このオペラが実は、劇的オラトリオであると納得もされように。

そのような聖なるものへの参加として聴けば、

これほど美しい曲はそうそうあるものではないのだが。

ヴェルディやプッチーニ、ロッシーニをオペラの基準とすれば、このオペラは

退屈である。

YESである。

しかし、目の前になる音楽を虚心になって聴けば、

その美しさ、

うちに秘めた強さ、

細やかに表現された心のひだを聴き取れる、感じ取れるはずだ。

第2幕より

これだけ聴くと本当に美しいと思うのだが、、、、、

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