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2011年4月17日 (日)

ノリントン、N響とコンサート①

ノリントンを聞くたびに思う。

「ピリオド奏法」とか、ノン・ビブラートなんてどうでもよいと思う。

一番大事なのは、それを使って彼が表現している「何か」である。

今日のベト1には、ベートーベンが居た。

天才であり、野人であり、野心満々であり、マッチョであり、ユーモラスであり、軽やかであり、

ヴィルトオーゾである稀有まれな人間としての、ベートーベンである。

そしてなんと若々しいベートーベンであろうか。

最初の7th chordが解決しただけで、ギョッとしてしまった。

曲を知っていれば知っているほど、笑ってしまう以外にはないような、

まったくありえないような表現だった。

炸裂するティンパニ

疾走するテンポ (特に第二楽章:完全に1つ振りのテンポ)

完全に聞こえる木管郡

野外的な響きのホルン

和声進行と旋律線にかなったフレージング

基本on the stringで弾く弦楽器群

強力な強弱のコントラストとキャラクターのコントラスト

躍動するリズム

これらすべてが、演奏者全員をヴィルトオーゾに変貌させるのだ。

いや、曲がそれを要求しているのだ。

ベートーベンは奏者に要求している、「超人になれ」と。

この挑戦に果敢に挑み乗り越えた者だけが、ベートーベンが要求している「何か」を表現できる。

ノリントンはそのベートーベンの要求を奏者に提示したのだ。

そしてN響は見事に答えたのだった。

結果として立ち現れた姿は、

圧倒的な凄まじさを持ったものだった。

人は、彼の音楽作りを 「やりたい放題」と呼ぶことがある。

果たしてそうなのだろうか。

「作曲家を尊敬する事は当然だが、曲を崇拝の対象にしてしまうと、
尊敬されるべき曲は尊敬されるべき音響を持たなければならいという観念に縛られる。」

「わかりうる限りの事実をまず知りなさい。そしてそれに忠実でいなさい、
そうすれば、あと我々指揮者に出来ることは5%くらいしかないよ。」

やりたい放題やっているのは果たして誰か?

エルガーの練習などは、アンサンブルを整える以外のことはほとんどやっていない。。。。。

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コメント

よいことばですね。

「作曲家を尊敬する事は当然だが、曲を崇拝の対象にしてしまうと、
尊敬されるべき曲は尊敬されるべき音響を持たなければならいという観念に縛られる。」

「わかりうる限りの事実をまず知りなさい。そしてそれに忠実でいなさい、
そうすれば、あと我々指揮者に出来ることは5%くらいしかないよ。」

kenさん

はい、よい言葉です。
そして要求されている事の大きさには口をポカーンと開けるしかありません。
自分は楽譜をしっかり読めているのかどうかすら、怪しいと思わざる得ません。
それでもこの道を行きます, because I want to be a complete musician.

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