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2011年5月23日 (月)

ノリントン、N響とコンサート②

ずいぶん書いていなかった。

忘れる前にNHKホールでのマーラーから書こう。

ノリントンの生マーラーは初めてだった。

実はCDではイマイチピンと来ていなかったのだが、今回完全に理解できたように思う。

そしてそれは素晴らしい体験だった。

彼のマーラーは諸要素を単なる要素として扱い、かつしっかりと強調するというものである。

音楽そのものと一体化し、すべて自分(指揮者=作曲家)にむかって起きている事としては扱わない。

ステージディレクター的な仕事というべきだろう。

例えば主人公達の真後ろに木々があり、強風が吹いているとしよう。

木々は揺れ、葉はざわめく。

これを主人公達の心象風景の表現と捉えるか、否か。

マーラー演奏においては、すべてが主人公の心象風景と据えられがちではないだろうか。

その為、情念の塊のような演奏にあふれている。

その逆の理知的・分析的な演奏、何か情景のようなものを想起されることはない演奏も勿論存在している、

しかしノリントンのマーラーはこれとも違う。

ノリントンは風は風のように、馬の歩みは馬の歩みとして据える。

こちらは何の隠された意図的な解釈を考えたり、感じ取ったりする必要がない。

あえて言えば映画を、しかもハリウッド・ムービーを見ているかのようだ。

しかもハイビジョンであるため、いろいろなディティールが見えるのである。

このようなマーラーはノリントンの芸風でもあるが、

軽やかであり、鮮やかであり、そしてドラマティックである。

なんといっても主人公は第4楽章で死ぬのだ。

「ここしかない」と言って教えてくれたSir Rogerの顔は、いたずら坊主のように笑っていた。

マーラーの心の葛藤を一緒に生きる気はなさそうだ。

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