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日記・コラム・つぶやき

2015年9月11日 (金)

踊ってみた: パスピエ

ダンスの授業はパスピエもやりました。テンポが速くてとてもとてもついていけません(笑)

ただ、ステップは基本メヌエットと同じで、全体の動きが違います。
さて、先生から「ちょっと遅めの演奏に合わせて練習しましょう」の声で、CDに合わせて練習。
ちょっとしてから、「実際にはこれくらいね」と言われて、速いテンポのものが!
足も頭もこんがらがって全くダメでしたが、ヘミオラが出てきました。
メヌエットには殆どヘミオラはないので、突然ステップと合わない音楽が来て、ビックリすると同時に、身体と音楽のシンクロしなさ加減で気持ち悪くなりました。
さて、当然ヘミオラ用のステップを教えてくれるかな?と思ったら、一言、「ヘミオラ用のステップなんて無いは。」

私「かなり気持ち悪いのですが」

先生「そうね、それがバロックダンスというものよ。音楽とダンスは衝突するのよ。それが良いのよ!」

バロックとは、歪んだ真珠って意味でしたねぇ。

先生「ヘミオラに親和性の高いステップはあるよ、ただし、ヘミオラ用ではない。間違えないように」

ということでした。

夜は先生がバロックオケの伴奏でフォルラーヌを実演。細かい音が沢山あり、奮闘しているオケに対して「もっと速く」と要求し、見た目には鷹揚なステップをする先生を見て、こういうconflictもあるのねと、
妙に感心した日でした。

2015年9月10日 (木)

踊ってみた: メヌエット

バロック音楽は、ダンスミュージックと言っても良いくらい沢山の舞曲があります。そして、ダンスのタイトルがついていなくても、あるダンス特有の音形やらなんやらで構成された曲も沢山あります。その場合は、ほのめかされているダンスがどのダンスかを特定すれば、テンポやフレーズの構成等を決めるときの参考になります。
その手のことを知識として知ることが出来る本は、出版されていますから、私も昔は読んで、知識として知っています。

ダンスとバッハの音楽

しかし今日に至るまで、実際にステップを踏んだことはありませんでした。
今日教えていただいたのは、
メヌエットとパスピエ。
メヌエットのテンポを速くするとパスピエになると言うと語弊があるかもしれませんが、超基本ステップが同じということもあり、その関連性も理解出来ました。

さて、私はクラブにすら行ったことがありませんから、

踊れませんw

が、兎に角習いました。
そして、団体レッスンでしたので、
みんなでクープランあたりのメヌエットで繰り返しステップを踏みました。一応残されている振り付けの絵を基にして、先生が2人1組で踊ってもくれました。

なんともいえない優雅さ。
お互いが見つめ合ったまま手に手をとって踊る姿は、見ていてちょっと気恥ずかしくなるくらいでした。
不思議な経験。

さて、今回実際にステップしてみて、メヌエットのフレーズ構造が、ようやく腑に落ちました。
メヌエットは3拍子で記譜されるわけですが、必ず2小節フレーズであると読んで知っていました。つまり、6拍でワン・フレーズ。
しかし実際に演奏してみると、そこまで2小節フレーズを感じないことが度々ありました。
しかし、ステップのサイクルが6拍と言うか、6つのモーションで1サイクルなのです。ステップをしている最中は、123、223ではなく、123456と数えていないと混乱してダメでした。
基本爪先立ちして歩くのですが、踵を降ろす時があります。
それが、2と6なのです。
2と5なら123、223でシンメトリーになるので簡単だと思うのですが、
この不規則性を持った規則的なステップがフレーズを嫌でも2小節にするのです。
この事を身体的に理解できたことは、大きな発見でした。
皆さんも踊って見ると新しい発見があるのではないかな?

2015年7月28日 (火)

マーラー「大地の歌」について

大地の歌かぁ。

8月15日に演奏会をすることが決まり、ダン・フォレストの「生けるもののためのレクイエム」が最初に決まった。カップリングの曲で真っ先に思いついたのは、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」だった。演奏会の副題は「こんなピエロに誰がした!」だった。郡司先生からは即座に却下されたが、今でもいい企画だと思っている。ただ、過激なのも理解できるので、これはしょうがないと納得したものの、ここから選曲に大いに悩むことになった。原因のひとつは、浜離宮朝日ホールの舞台が小さいことだ。編成が大きい曲は出来ない。ラターのレクイエムなど小さい編成のものもあるが、レクイエム2曲というのはちょっとなぁと思い悩みながら、ある日突然大阪に行くことになった。用事を済ませ、余った時間で大阪の有名楽譜書店に行ってみた。ここで見つけてしまったのだ、「大地の歌」(シェーンベルク編)を。その存在は知っていたが、録音を聞いたこともなかった編曲。大判のスコアを立ち読みしながら、どうすべきか悩んでいた。オケは小さいとはいえ、レクイエムよりは大きい。あまり贅沢なことはしたくない。そんなこともプログラミングでは重要だ。悩んだ末とりあえず購入し、東京に持ち帰った。
 まずあらためて歌詞を読んだ。正直どう考えるべきか当初は分からなかったことを告白しておこう。
どうも世間で言われてるほどには人生の空しさや、無常観、厭世感、憧憬、別離等、およそ人生の儚さ、無意味さを感じなかったからだ。はて…
とにかく聴き始めた。そしてぶっ飛んでしまった。
咆哮する管楽器、叫び続けるテナー、荒ぶる憤りの嵐のような第1楽章。「暗闇なのだ、生は、死は」というテーゼ。
そして彷徨える寂寥感で満たされた第2楽章。このコントラストは強烈だ。

第3〜4楽章は、打って変わって穏やかで、暖かい歌詞の歌となるが、最初のふたつの楽章を聴いた後では、このさらなるコントラストにどう対処すべきだろうか?どんなに明るく、どんなにロマンスを仄めかしても、それは過ぎ去った過去であり、美しい思い出であっても、今に繋がっていない。美しければ美しいほど、痛みが増すというパラドックスだ。

第5曲は、酒が戻ってくる。やけを起こした呑んだくれの歌は、微妙な明暗を持っている。全体としては軽いのだが、それがいつの間にかなんとも言えない微妙な色調を持って鳴り響く。世界観が第3、第4よりも現在に近い感じがする。それはあたかも次楽章への長い序章のようでもあるし、第1楽章への精神的再現部でもあるかも知れない。

そして長大なAbschied。
第2楽章の孤独な者との関連性を私は感じざるを得ない。してみると、
この曲は、
第1、第2によるペア(Aセクション)、第3、第4によるペア(Bセクション)、第5、第6によるペア(A'セクション)で構成されていると言えようか。
さらに、各楽章の主旋律は、第1の主旋律の音程関係との類似が多いことから、Bセクションを展開部と考え、A'は再現部とすることが可能かもしれない。
こうなると長大な第6は実はふたつの詩で構成されており、最後の詩の部分はすべてを解決するコーダとすべきかもしれない。
従ってこの60分を超える曲は、ひとつの、長いソナタ形式ということになるかもしれない。
閑話休題、abschiedについてだった。この楽章の目的は何だろうか?上記したような意味におけるすべてを解決する楽章なのだろうか?正直言って、それは分からない。残念ながら、マーラーは、明確な答えを与えてくれない。最後の和音が通常の意味での解決和音でもなく、永遠(ewig)に繰り返され終わることなく、何度でも戻ってくる(永遠回帰)のように、終わります。
マーラーは、この曲の初演を聴かずに亡くなってしまいますが、初演を指揮したヴァルターに向かってこう言ったそうです、「この曲を聴いたら自殺者がでるのではないだろうか」と。

大地の歌: 神崎正英氏による歌詞対訳

2015年7月27日 (月)

Requiem for the Living

「先生!2015年の8月15日、浜離宮ホールが空いていますよ!」

2013年の夏の夜、毎年3月に行っている追悼演奏会のための曲、まだ知らないレクイエムを探して、youtube上をサーフしていた僕は、この曲に出会った。「Requiem for the living」by Dan Forrest。知らない曲、聞いたことがない作曲家名。そう簡単に隠れた名曲に当たることなどない。特に期待もせず聴き始めた。
冒頭のオルガンの短音を聞いた瞬間、「おっ」と思ったのを今でも覚えている。それが、下降し不協和となり、次の瞬間いくぶんか解決、あくまでも少しだけ。若干の緊張を残しながら少しずつ上がるテンション。ヴァイオリンに導かれる跳躍とやはり下降する美しい動機。それは何かを掴もうとして届かないもどかしさのようだった。
もう息はすっていなかったと思う。完全に惹きこまれていた。
第2楽章は、あの時点では何を言っているか分からなかったVanitas。Dies iraeの代わりであろうことは直感で分かった。小林秀雄の「疾走する悲しみ」が頭をよぎったのを今でも覚えている。激しい憤り。夢中になって聴いていた。
第3楽章、あれ、Agnus Dei?とは思ったが、ボーイ・ソプラノの声が前2楽章で積もり積もった緊張を解きほぐしていく。正直音程がかなり怪しかったので、「う~ん」と思ったのも、今となっては楽しい思い出だ。しばらくして鳴り響く愛らしいグロッケンとハープのデュオ。フルートが入った時点で拍節が分からなくなってウキウキしたっけな。そしてSanctusが始まった。最後の踊るような部分に入ったところで、もう駄目だった。完全にやられた。あまりの興奮と感動で多分泣きながら聞いていた。そのため正直Lux aeternaのことはよく覚えていない。
Luxが本当によく書かれており、この曲のドラマ性において必要不可欠であることを理解したのは、ずぅっとあとになって、実際にスコアを勉強するようになってからだった。今では、優しさと暖かさと、美しさと希望に満ち溢れたこの楽章が持つ音楽的機能についても、理解していると思う。最上の楽章と言ってよいだろう。
さて聴き終えて興奮している自分は、いつやるかを考えていた。2014年の追悼演奏会はもう決まっていたので、やるなら2015年ということになろう。しかし、2015年3月の追悼演奏会は敬愛する上田益先生からの依頼で、新作「スターバト・マーテル」の初演をする栄誉を預かることになり、「Requiem for the living」はしばらくお蔵入りすることになるはずだった。あの電話が鳴るまでは。「先生!2015年の8月15日、浜離宮ホールが空いていますよ!」電話口から聞こえてきたよく知っている声を聞きながら、「これは運命だ」と思わざるを得なかった。
8月15日が何の日かは言うまでもない。しかも今年は節目の年。レクイエム、しかも生きとし生けるもののためのこの曲は、この日に演奏されることを要求していたのだろう。
練習を始めて、歌詞を読み、Danと連絡を取って話をし、つくづく良くできた曲だと思う。
まずは曲のプロットについて、Dan自身による解説を是非よんでいただきたい。

解説: 生者のためのレクイエム


人間の人生において、彼が想定したような絶望や喪失感は多くの人が経験することだろう。神に対してということだけではなく、人生に、そして人に。表現されていることは、真っ暗だが、それは痛切な美しさを帯びている。そこには旋律が必ずあり、どのような痛みを表現していようとも、耳を傾けずにはいられない。もっと激しい、野蛮な表現も可能だったはずだ。何故彼はそれを選ばなかったのか。あくまで私見だが、このようにあくまで音楽的であるが故に、我々は今そこで表現されている何かについて考えることが出来るからではないかと思う。例えば、目をそむけることしか出来ないような戦場の凄惨な写真を見ながら、戦争について考える余裕あるだろうか。一瞬のうちに恐怖を植え付ける写真は、インパクトはあっても、その瞬間のことになってはしまいか。レクイエムにおいては、リスナーは聴き、その間中考え続けることが可能であり、ある意味要求されている。その事がより深い経験と理解をもたらすのではないだろうか。これがVanitasを最もポピュラーな楽章としている理由ではないかと思う。
Agnus Deiにおいて希望が現れる。ここで初めてソロがでる。お告げだ。そうだ、「希望」は必ずどこかにある。明けない夜が無いように、必ず。しかし、「希望」を見つけられるのか、見つけた「希望」は信じられるのか?
Sanctusにおいて、それは「Yes」と力強く宣言される。しかし意外なことにそれはまず囁くように始まる。通常Sanctusは神への賛美だから最初から騒がしい。ここでは、静かに、繰り返し、何度も、Sanctusと優しく繰り返す。それは信頼してもらえるまで何度でも、いつまでもそこにいることを表しているかのようだ。曲が進む。瀕死の魂の頭が少しずつ上がってくる。音楽の流れは止まらない。暖かさを増していき、包み込むような中間部を経て、最後に復活する。喜びと希望に満ち溢れた歓喜の踊り。爆発するエネルギー。そしてこれを起こせるのは、人間だけだという確信が芽生える。たとえ神に導かれたとしても、実をなすのは、「人」である。
 大きな復活を経験したあと、ついに「安息」が現れる。合唱の最初の入りのところに、gently floating (柔らかく漂うように)と指示がある。大地から離れ、光(Lux)のもとに
飛び立つのだろう。そしてついにイエス(テノール)が語る、「私のところに来なさい。安息を与えよう。」
 実際の人生において、このような宣言を出来る人間はいない。だが、もし私たち一人ひとりが、今隣にいるパートナーに毎日一瞬でも安らぎを与えられたら、その積み重ねは、きっと神の言葉のような奇跡を、Pacem(平和)を生むだろう。かつて、音楽は芸術では無かった。音楽は神の理を表すとし、研究された。それは音楽に強大な力があることを端的に示す。悪用されもした音楽は、遂には、個人の個性の発露としての芸術というところにまで矮小化されてしまった。しかし音楽自体は、その力を失ってはいない。それは音楽が複数の人間が心を合わせ、何かを成し遂げる、その際に必要な、ハーモニー、調和と協力を人に課すからだ。隣にいる人、後ろにいる人、前にいる人、5メートル離れたところにいる人すべてが、演奏を通して「和」を作る。これが音楽をする心であり、このような「和」の心、柔軟で寛容な心がある限り、音楽は人を動かすことが出来る。Dan ForrestのRequiem for the livingは、そのような「和」の精神が、究極の「救い」なのだと、私に教えてくれたのだ。
 以上は、作曲家自身の意図から完全に逸脱しているかもしれない。彼の意図は解説に書いてあるからだ。しかし、名曲は、曲自体が演奏家に新しい解釈を生みだすことを要求する。それがその曲が永遠の命を持っているかどうかということだ。私の想いは、これから生み出される幾千の解釈のひとつでしかないけれど、日本に於ける最初の一粒になれることを、誇りに思う。

2015年3月12日 (木)

a Moment to think

A moment to think

On the 4th anniversary of the great East Japan earthquake, I gave a moment of silence at 14:46. I noticed that nobody around me didn't seem to care what I was doing and continued drinking, eating, talking.

So many donated money, spent time as volunteers and purchased products from supposedly radio-contaminated regions to help the people there. And those actions seems to be unstoppable. There have been, are and will be enormous amount of effort and support for the people and to the area so that they get better as soon as possible. I have full respect towards these people who are making the difference and progress.

Meanwhile, there is a report from Asahi Shinbun saying that almost 70% of the people living there feel they are forgotten even though the recovery is far from being completed. As mentioned, total strangers around me seemed not to care. But a friend of mine told me that in his office there was an announcement mentioning the tragedy and took a moment of silence.

There are differences among people how much they care or could care.
Each and every person has their own life to take care. There are people including myself who simply are incapable of contributing time and/or money to the recovery or avoid thinking of it. I thought, though, undertaking the recovery action supposed to be done by so called, "All Japan."

People live for now and future so much so that they connect to the past which they lived only occasionally.

As a classical music musician dealing most of the time with the works from the past. I am used to think and research the history. However, the result of our thoughts and research must be connected to the present, people living now. And hopefully that is passed on to the next generation. This is, I believe, a part of ability of any traditional art, connecting the past and the present, making people aware of the things happened in the past and giving opportunities to remember and/or think that there are damages in nature, creature, and above all in human being. As a result after a concert, one could become a different person.

2014年5月15日 (木)

仮免筆記試験

本日受けてきました。

通りました。。。。よかった。。。。
中々厳しく、、、模擬試験では落ちてばかりでしたので、、、、
昨日の夜に突っ込んで勉強してよかった。
とはいえ、テストは模擬より簡単だったのですが(笑)。
なにはともあれ今度から路上に出ていい事になりました。
一応、隣に普通自動車の運転免許持った方が乗り、
仮免許練習中の表示をすれば、プライベートで車の運転もできます。
まぁ、やらないですけどね。。。。

2014年5月11日 (日)

修了検定終了

実技の第一段階終了試験でした。

めでたくパス致しました。
よかった~
というのも、
じつは、、、、
坂道発進を失敗したのですよ!
しかも2度も!!
いや~あせりました。
練習では一度も失敗しなかったのに。。。。
「慢心」、、、これが一番似合うお言葉でしょうか。。。。
まあ、パスしましたので、、、学科試験のほうもがんばります。
勉強しないと。。。。不安じゃ。。。。

2014年4月30日 (水)

車の免許をとりに行っています。

思うところあり、

普通自動車免許を取りに行っています。

MT車です。

何でわざわざとよくきかれます。
今時オートマでいいでしょうよと。。。
そうはいっても、この世界にマニュアル車がある限り、
ぶち当たらないとも限りませんので、
MT車で免許を取りに行っております。
今日は第一段階実技の見極めの日でした。
結果は概ね良好と言う事で、
第1段階の卒業検定を受けるように言われました
v(00)
まぁ、今でもエンスト起こすんですけどね。
そうはいっても今日は調子が良く、S字も、クランクも、坂道発進も一発どころか、
2度やっても問題ありませんでした。
時速40キロもOKだったし。
ライン取りがまだうまくいかないことがありますが、
「概ね良好」ってことで、とりあえず、許してください。
さて、来週には検定を受けて、パスすれば、いよいよ、
路上教習になります。
アホみたいに緊張してきました。
とりあえず、検定がんばろ。。。学科が実は不安です。。。。

2012年9月25日 (火)

Grazにて指揮講習会を受ける①

8月17日午前1時の飛行機に乗るため、16日夜9時ごろ羽田空港にやって来た。

日頃早寝なので、空港でかなり眠くなり、眠ってしまいそうだった。

寝過ごして乗り損なうわけにはいかないので、無理してコーヒーをがぶ飲み。

何とか搭乗することができた。

しかし、このがぶ飲みが仇になった。

機内で腹痛を起こしてしまった。

客室乗務員の方から「熱が出たら降ろすわけにはいかなくなります」と脅され、

嫌でも良くならないと困る状態に。。。。

「とにかく寝るべし」と思いストンと熟睡。

寝る前に毛布を1枚追加でいただき暖かくして寝たところ、起きたら治っていた。

この時になって初めて熱を測り、平熱。

この時「胃腸薬をかき集めました」と言ってもって来てくれた乗務員のYさん。

有り難うございました。ANA素晴らしかったです。

大体、機内が寒過ぎたのがいけなかったのだろう。。。。

さて、なんとこフランクフルト空港に到着。

トランジットで3時間待ち。

ついた時にはまだ、明け方でした。

結構寝たので眠くもなく、美しい朝焼けを堪能しつつコーヒーを楽しみました。

Photo_1


Photo_2

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2011年9月15日 (木)

たまには長く呟いてみよう

ここ数日は、

演奏予定の全く無い曲(マーラー「復活」、シューマン4、「英雄」)や、

Led Zeppelinを聞いて過ごした。

久しぶりに座って語らい、

小説を手に取り、

運動もせず、

書き物をしていた。

演奏会の事は頭になかった。

音楽を考えなかった。

ただ、受け入れていた。

絵を見、

彫刻について想った。。。

モダン・アートを楽しみ、

これ買おうか、買うまいかと悩み(結局買ってない)、

これ食べようか、食べまいかと悩み(結局食べた)、

スコアを手に取る事が無かった。

今、

心が音楽を求めている。

音楽に飢えている。

能動的に、音楽をする事を欲している。

時は来た。

スコアを開き、

曲に没入しよう。

よっしゃーーーー