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音楽見聞録

2011年3月 3日 (木)

鶴の恩返し

もう10年くらい前になるかと思うのですが、レコ芸。。。だったと思いますが、、、

エサ=ペッカ・サロネンのインタビューを読みました。

そのときは彼が作曲中のオペラの話があり、

確か猿と人間の恋愛物語を題材としているとか言うお話でした。

「今時禁断の恋なんて人間同士ではないからさ。。。」

的な発言をしていて、当時、、「趣味悪」と思った記憶がありました。

でも、「鶴の恩返し」は、そうです、動物と人間のラブストーリーなんです。

悲劇のね。

だれが、昔話にこんなリアリティを持たせるなんて考えるのだろうか。

本当に驚いた。

女性の皆さんは男を甘やかす事は避けてください。

いつか与ひょうのように、なってしまいます。

お金とかに目がくらむのさ。

つうは2つ織物をして、与ひょうに「一つは私だと思って手元に置いておいて欲しい」と頼みます。

自分には与ひょうがそれをキープするとは思えない。

確かに与ひょうはつうを失ったことを嘆くけど、どれだけ続くだろうか。

幸い?与ひょうはつうが鶴であることを理解した様子がないので、もしかしたらとも思うけど。

いや、思いたい。男だってそれくらいの優しさはあると思いたいから。

逆に男は、自分のパートナーの価値をちゃんと見出すようにしないと、

失っちゃうよって事を理解しなければ。

オペラを鑑賞している間中

「バカ、与ひょう、止めろ」の連発でした。

つうがかわいそうであること、そして与ひょうが失うことがわかっているだけに。。。

結局このオペラは誰も幸せにならない。

少しづつ、全員が不幸になっていくというオペラ。

あんなに献身的なつうが不幸になるところが、シュールであり、また現実味をいやがうえにも増幅するのだ。

つうって名前は鶴ではなくて、痛、から来ているのだろうか、、と思うほど。。。

2011年2月12日 (土)

團 伊玖磨作曲「夕鶴」鑑賞記

2月6日(日)最終日に行ってきました。

正直行く前は不安でした。

わざわざシューマンの「ゲノフェーファ」日本初演を蹴ってまで行く価値があるのか。

日本語の歌ってディクションが難しいし、話はおよそ誰でも知ってるあの話だし、

團 伊玖磨さんの曲ほとんど初めてみたいなもんだし。

これでつまらなかったらどうしよう。

とまで考えました。

無知とは恐ろしいものですね。

終わってみれば、恥ずかしいの一言です。

自分の未熟さを露呈しただけでした。

つまり、それだけ素晴らしかったわけです。

このオペラと出会えたことに感謝。

歌手陣のレベルの高さに感謝。

Twitterにも書きましたが、兎に角、

つう役釜洞佑子さんが素晴らしかったです。

もうたたずまいから存在感が違います。

ああいう立ち方って日本人にしか出来ないかなぁ。

ああいう立ち居振る舞いって日本人だよね。

しかも昔の。。。

そう、時代劇みてるみたいでした。

勿論昔のね。

DNAでしょうかね。

これはもう外国の歌手ではちょっとやそっとでは無理です。

超日本でした。

つうがつまずく所があるのですが
(アクシデントのように見えました、計算でやっているのならそれほど迫真の演技です)

その倒れ方からの一連の流れもそうでした。

そして歌ですが、

あれほど日本語が明瞭に聞き取れるとは!

ディクションに関しては出演者全員素晴らしかったです。

面白かったのは高音でつうが「さようなら」と歌う箇所は「そようなら」的に歌ったところと

与ひょうが「つ~う」と呼びかけるときにまず「T」をだしてから「う」の母音を出したところです。

両方ともちゃんと言葉になってました。

やはり何を言っているのかを読まずに理解できると「初物」であっても感じ方が違いますね。

以前バーバラ・ボニーのリサイタルの模様をTVでやっていて、赤とんぼをアンコールで歌いました。

その時に、言葉がわかったり、わからなかったりして結構気持ち悪い思いをしたのです。

今回はそんなことは一瞬もなかった。

さて、歌そのものもWonderfulでした。

テノールの経種廉彦さん、明るい声で迫真の歌唱。

あまりの見事さに、

終盤は与ひょうの愚鈍さというか幼稚さに対して憤りを感じてしまいました。

それとはまったく対称的に釜洞さんのつうは、毅然というか、燐としてました。

つうの思いの強さ、苦悩、絶望、深い声でした。

こちらも感情移入し、一緒に泣きそうでした。

時には能を感じさせるような、静けさとピンと張り詰めた声。

ビブラートを意識して抑制し、ストレートな声での表現。

Bravaです。

舞台装置は「simple is best」を字で行くようなものですが、

現代的で洗礼されていて、とても美しかったです。

MET・ゼッフィレリのように、豪華さとかでため息をつかせるものではなく、

ワビサビを感じさせるものでした。

白で統一された色合いのおかげで、他の色が衝撃的なほど映えました。

つうが覚悟をし、機を織ると決めたときに、寝ている与ひょうに布団をかぶせるのですが、

裏地が赤なんです。

それを一度自分の方に引き寄せます。

あぁ、彼女は血を流しているんだ。

心も、そして、自らの羽を抜くことによって身体からも。。。

あまりのリアルさに、「これはベリズモだ」と考えてしまいました。

その路線で指揮された高関さん(TwitterにおいてPucciniと同じように演奏するとつぶやいています)と

東響の演奏も大変良かったです。

それにしても編成は小さめですね。

木管2-1-1-2ですよ。

ソリスティックな箇所も良かったですが、Tuttiの音圧・音色も良かったです。

若干声を超えた瞬間もありましたが、、、それも表現の真実性をあげるのに寄与していました。

それにしても、まさか「鶴の恩返し」がこんなに深い話だとは夢にも思わなかったです。

それについてはまた次回。


2010年5月13日 (木)

5月12日:ノリントン コンサート in みなとみらい 2

最初からいきます。

まずはハイドン。

指揮者から見て左に1st Vnが3人、その隣(中央)にチェロ1、コントラバス1、

そしてビオラ、2nd Vnが指揮者の右手に。VnとVaは立って演奏し、サー・ロジャーは暗譜で指揮。

曲が内包するユーモアをあざとくならないようにはっきりと示してくる演奏。

具体的には強弱の幅を大きくとっているわけだが、単にメリハリがついているわけではない。

なぜなら強弱の推移が常にある(フレージング)ので、どんなアクセントも唐突な感じがせず、

故に優雅さが損なわれることがないからだ。

ノリントンの真骨頂というべき演奏だった。

次はブラームス。

とても優雅で優しさを感じさせる演奏で、不思議な浮遊感のあった。

弦は8か10型(すみません、数えるの忘れました)。

冒頭の主題からピュア・トーンというか、音程が驚異的に良く、はっとさせられた。

フレージングは繊細で、こんなにやわらかいブラームスがあるだろうか。

ソロのパク・ヘヨンはノン・ビブラートをバックに普通にビブラートを使用。

これは19世紀、、いやいや20世紀前半まではよくあった話だ。

しかしこのビブラートが繊細でよかった。

ふり幅が小さく、スピードが速いきめの細かいビブラート。

美しい。。。。

情熱とパワーも申し分なく(技術は言うまでも無い)、将来を期待したい奏者である。

最後はドボルザーク。

第7はちょうど今自分もリハーサル中なので予習バッチリで行ったのだが、、、、

この曲の音響に対する認識が変わってしまった。

ブルックナーを髣髴とさせるような巨大な音の塊である。

オルガンというのともちょっと違うのだけれど、

とにかくそれはドボルザークというよりはブルックナーを彷彿とさせた。

オケは16型の倍管である。

しかし管楽器は音のマスとして存在し、その音圧をかんじさせてくれたものの、

たいして浮かび上がってくる事はなかった。

それよりも弦がなっているのか管がなっているのかわからなくなるほどブレンドしていたのだ。

音像が不明瞭だったと言う人もいるかもしれない。

特にシュテュットガルトの演奏であればなおさらに。

しかし今回は強烈に「悲劇的、Tragic」「暗黒的、dark」という解釈にのっとった故の成果と取りたい。

こんなに強靭な音を シュテュットガルト放響から聴いたのは初めてだ。

アンコールはローエングリン。

ドボルザークの後に聞くとなんとも軽く、緊張感を解くのによかった。

ホッとした。

今回はオーケストラが2年前ともまた変わってきている事を確認し、

進化がとまらない素晴らしく柔軟なオーケストラであることを再認識。

次回の来日では新シェフになるだろうから、何処に向かっていくのだろうか。

期待したい。

5月12日:ノリントン コンサート in みなとみらい

行ってきました。

はっきり言って興奮してますが、詳細は後日書きます。

ハイドンの1番交響曲:弦が3-2-2-1-1(実人数)。

      エレガンスとユーモアの極み。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲:繊細な演奏。Intimateと言うべきか。

ドボルザークの第7交響曲:歌謡性より迫力と悲劇性の勝った演奏。

カメラータ・ザルツブルグでコンミスだった(?)ナタリーがシュテュットガルトのコンミスに就任したようだ。

彼女はノリントンと10年以上のつきあいがあるから、何をすればいいのか完全にわかっているだけに、

ノリントンも楽というか楽しそうだったな。

他にも色々なニュースが聞けたけど、それもいずれ、、、、

とりあえず今日は、有り難う!サー・ロジャー!!

来年の4月にまた東京で会いましょう。

2010年3月 7日 (日)

終了しました。マーラー作曲「交響曲第8番"千人の交響曲"」

コンサート終了しました。

まずは、合唱(子供を含む)を称えたい。

12月までリハーサルに行きましたが、正直あの時点では、『一体どこまでいけるのかなぁ』。。。でした。

歌えない事はないだろうし、通らないということも無いとは思っていましたが、、

終わってみれば予想を遥かに上回る出来で、レベルの高い演奏でした。

Tutti時における皆さんの声の美しさ、決して叫び声にならず、まろやかで、

それでいてこの曲に必要な強い音圧も十分にあり、本当に素晴らしかった。

特に男性の声があんなにも女性と拮抗できるとは!

そして、何があってもレナウトの棒につけていたのも、特筆に価する事です。

本当にCongratulations!

しかし本番そのものに関しては、合唱だけで済む問題ではなく、

指揮、オケ、ソロ歌手陣も含めたトータルでの評価が必要でしょう。

これだけ複雑でしかも大所帯だと、色々な事が起きた(オケ・合唱・ソロ等すべてを含む)のはやむおえない。

最大の要因はオーケストラの音量が大きすぎた事だと思います。

響きが飽和し、どういう音楽なのか分からなくなった箇所がいくつかあった。

あとバンダですが、私の位置からだと激しくズレたように聞こえたけれど、録音にはどうはいっただろうか。

それにしても、あの「HIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIN AN」は

すごい威力だったなぁ。

お疲れ様!

2009年10月24日 (土)

youtubeでニューヨークフィル2009-2010シーズン オープニング・ガラを見て・3

それにしてもすさまじい演奏ですね。

まぁ、勿論youtubeですから、音質は本当の所はわからないし、

音色だってこうではないでしょう。

しかし、傾向はわかるはず。

なんとまぁ、変わってしまったことか。

これは私が知っているNYフィルの音ではない。

この、、、ザラザラというか、ギラギラした音色。

これを聞いて『美しい』という形容詞を使う人は入ないのではないか。

アメリカのオケはもともとあんまり『美しい』という系統ではなく、

『ダイナミック』とか『パワフル』とかで形容されがちだと思うが、

それにしてもこれは一体、、、、、

『荒々しい』演奏だ。

しかし『雑』ではない。

ひとつには、短いアーティキュレーションが、

もうひとつには、リズムの激しさが、

起因していると思う。

また音圧(こういう表現が適切かどうか、、)が凄まじい。

音を当ててだし、そのまま抜かずに行っている感じだ。

『音色の多彩さ』とか『繊細さ』(ボストン響の為に)

とか

『豊饒さ』とか『ゴージャス』(フィラデルフィア管の為に)

とか

『輝き』とか『豪快』(シカゴ響の為に)

とか

『綿密』とか『精密』(クリーブランド管の為に)

とかの形容詞は使えない。

やはり『荒々しい』としか、言えないような『若武者』の演奏だ。

あえて付け加えるなら『かっこいい』だろう。

表現の求心性に、かつてのバーンスタイン・NYフィルを思い起こさせるものがある。

しかしその表現は内向きではなく、あくまで外に向かって、

吐き出されている。

搾り出されるような激しさ。

にもかかわらず、ギルバートはなんと、『普通』に指揮しているんだろう。

棒は基本的にに『打点』はクリアーで見失いようが無い。

そうすると、これはEvery Fisher Hallという、

世界でも有数の音響の『悪さ』を誇るホールで弾いてきたことによる副産物なのだろうか。

どちらにして、私にはとても魅力のあるオーケストラの音であり、表現だ。

勿論、始まったばかりの関係だから今は良いに決まっている。

あとはこれが続くのかどうか。

来日公演はまったく行ってないので、Liveでどうなるかわからないが、

録音も含めて(でるのかなぁ。。。)、

楽しみにしたい。

2009年10月12日 (月)

youtubeでニューヨークフィル2009-2010シーズン オープニング・ガラを見て・2

ギルバートにはがんばってもらわねばなりません。

ニューヨークのこの大英断が成功すれば、他の大楽団、すなわち、

シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、クリーブランド(かつてのBig 5)も、

重い腰を上げると思われます。

これは本当に重要なのです。

私見では現在、これらのオーケストラのシェフになれる、

いや、

なってさらに多くなって欲しい、その可能性を秘めた指揮者が何人かいます。

しかしBig 5(この名称がむなしく響くようになったのはいつだろう?)は見向きもしない。

ボストンはジェームズ・レバインとあま~い生活を送くれると思っていたのだが、この数年

レバインの身体はぼろぼろで、入院を繰り返しています。

先日もカーネーギー・ホール定期をキャンセルしました。

その際にボストン・シンフォニーがとった行動は、

『優秀なアシスタントをデビューさせる』ではなく、

たまたまニューヨークに来ていたダニエレ・ガッティを招聘する事だったのです。

一体どこまで若手を無視する気なのか。。。。

シカゴが捕まえたのはムーティですね。

あのフィラデルフィアを投げ出した男ですよ。

その以来フィラデルフィアは低迷を続けています。

唯一、クリーブランドはヴェルザー=メストとともに、良い関係にあり、

オケの状態も良いようです。

ヴェルザー=メストはムーティやレバイン、バレンボイム等よりはるかに若い事を

考えるにつけ、新しい感性を取り入れる事の重要性を痛感せざるをえません。

誤解の無いように言いますが、ムーティやレバインがへぼと言っているわけでは

ありません。

オーケストラのマネージメントの方に、もっと目を向けるべき若手・中堅を探し、

一緒に変わっていこうとする意思が無ければならないと言っているのです。

そうでなければ、アメリカ音楽界は良くならない。

若くて才能があり、能力があり、想像性、創造性もある指揮者達があの巨大な

大陸をかっぽするようになれば、この元気の無いクラシックという世界に、

大きなうねりが生まれると思うのです。

前回からの続き

2009年10月 8日 (木)

youtubeでニューヨークフィル2009-2010シーズン オープニング・ガラを見て・1

ニューヨーク・フィルのシーズンが始まった。

今回のシーズンは特別の感慨がある。

なぜならAlan Gilbert(アラン・ギルバート)時代が始まったからだ。

マズーアの後任にマゼールが決まったとき、私は怒り狂ったものだった。

『なんでわざわざマズーア切ってマゼールなんだ!!マズーアが立て直してくれたんだから、託すなら若手・中堅で行くべきだ。今更マゼールってなんだよ。本当にアメリカのオケは老人好きだなぁ』

その時私の中では何人かの若手・中堅アメリカ人指揮者の名前があった。

あれから何年経った?かは忘れてしまった。

私がニューヨーク・フィルの音楽監督になる力があると思っていた指揮者達は

大きく成長している。

そんな時に発表された人事に私は興奮した。

『やっとアメリカの楽団もアメリカの個性と才能を伸ばす気になったか。』

この人事は成功しなければならないのである。

Opening Night Gala( 1/8 ) New York Philharmonic Orchestra Symphonie Fantastique

2009年8月 1日 (土)

ヤマカズさんのCDとベートーベンの第9

昨日は久しぶりに新宿のタワーでお買い物。

その時昨日書いたヤマカズさんのCDを試聴することができた。

札幌交響楽団とのライブによるベートーベン交響曲全集からエロイカ。

私は長時間の試聴は生理的にできないので、長くは聞いていないのだが、

第一楽章のテンポの良さは特筆ものである。

早くは無い。遅くも無い。しかし中庸という言葉では申し訳ないくらい良いテンポである。

何と言ったら良いか、、、、

あの日、あの時、札幌交響楽団が出しうるもっとも充実した音を出させるテンポ。

これでは何のことかわからないのだが、ほかに思いつかない。

つまり、テンポというものが、テンポだけ独立して指揮者の解釈の表しているのではなく、

オーケストラの持つポテンシャルという要因があのテンポにさせたのではないかと

思うのである。音の充実とテンポが切っても切れない関係として、耳に届く。

したがって、「速いなぁ」とか、「筋肉質の音だなぁ」とかの分析的聞き方ではなく、

素直に、「いい演奏だ」から入ってしまった。いや、入らされてしまったのだ。

その上で、何が良いのかを考えさせられてしまった。

こんな風に考えさせられる演奏はそうそうない。

しかしいきなりこれだけで全集を購入する事はできない。

隣には京都交響楽団とのベートーベンの第9のCDがあった。

1000円である。しかもこれも試聴できた。

さて隣の試聴ブースにはヴェルザー・メストとクリーブランド管による

同じくベートーベン第9の新譜が置いてあった。

ちょっとした聞き比べの始まりである。(注:全編通し聞きしたわけではありません)

まずはヴェルザー・メストから。

べらぼうにうまい演奏だ。

テンポは速めだが、ゆとりがある。

そしてリズムの処理が正確無比である。

アンサンブルの精度の高さもピカイチだ。

第4楽章は面白かった。

オブリガードソロのオーボエのうまい事。

完全にソロとして弾いている。

またそれだけはっきりと聞こえる。

そして合唱の扱い。

ディクションがすごい。

よく聞こえる。

音を短めにして(スタッカートぎみ)にして子音をしっかりだしているのが成功している。

そしてフレーズをいちいち終わらせるのである。

短いフレーズの集合体としての息の長いフレーズという感覚はゼロだ。

つまり、歌わない。もっとぜんぜん語りに近い。

フレージングの短さは、ディクションのよさに起因していると思われる。

つまり語ることを第一に考えたやりかただ。

そのため、ローカルなリズムのよさが際立っている。

しっかりとした拍節感が聞こえる。

音楽的面白さや共感度という話は脇に置こう。

とにかくうまい演奏だ。

ではヤマカズさんの演奏は?

演奏の完璧主義的観点から見れば、かわいそうになるほどの差がある。

録音の悪さがこれを助長しているとは思えるが。。。。

ところが、不思議な事に、説得力のある演奏は?と聞かれれば、

ヤマカズさんの演奏と答えるしかないのである。

これは一体どういうことなのか?

これを知るために、このCDを購入しタワーを後にした筆者であった。。。。

2009年6月27日 (土)

ブルーアイランド版 「魔笛」 2009年新版らしい 演奏評

う~ん、この公演に芸術がどうのこうの言ってもしょうがないと思うのだが、

やはり書いておこう。

原語上演だったわけだから、演出や設定はまったく抜きで、

歌だけの感想ね。

一番印象に残っているのは

夜女の見角悠代さん。

透明度の高い声が美しく、高音もほぼばっちりだった。

オケがバックのオペラ公演でも問題ないだろう。

そしてドイツ語のディクションは出演者中のベストで、大変素晴らしかった。

ディクションで言えばパミーナの田島茂代さんも良かったが、後の方々は、もうすこし

頑張っていただきたい、個人差はあるけれど。

侍女たちの歌はなかなか良かったと思う。

個人的にはもうすこしアルトにあわせたバランスをとって欲しかったが。。。

パパゲーノの馬場眞二さんも楽しめた。

あえて言えば、脇役という感じが強く、控えめすぎた感じだ。

もっと厚かましくていいと思う。

ピアノ伴奏の遊間郁子さん、素晴らしいお仕事でした。

お疲れ様でした。

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