夕方何気なくNY timesのウェッブを覗いたらちょっと興味深いコンサート・リビューがあった
http://www.nytimes.com/2009/12/17/arts/music/17rilling.html?_r=1&ref=music
ヘルムート・リリングと彼のコーラスGächinger Kantorei(ゲヒンガー・カントライ)が
ニューヨーク・フィルに客演し、ヘンデルのメサイヤを演奏したコンサートの批評である。
指揮者だけでなくコーラスも招待するとはニューヨーク・フィルも太っ腹!
だなぁ、最近の経済状況から考えると、、、、、と思って読み始めたら
いくつか興味深い記述があったので、抜粋して紹介しよう。
Large modern orchestras sometimes offer renditions of the “Messiah” that sound thundering and heavy compared to leaner versions by period-instrument groups.
”ピリオド楽器アンサンブルの線の細い演奏と比べると、巨大なモダンのオーケストラは時として重く、雷鳴のような音で『メサイヤ』を演奏する。
But under Mr. Rilling’s eminent baton, the reduced forces of the Philharmonic produced an impressively taut, buoyant and sharply etched sound, playing with a vibrant pulse and almost no vibrato.
しかしリリング氏の突出したバトン(指揮)のもと、サイズを刈り込んだフィルハーモニックは緊張感と明るさと鋭さをともなった印象深いサウンドを作り上げ、鮮烈なパルスを保ちながら、ほとんどビブラート無しで演奏した。”
とりあえず、どれくらい少人数だったのかはこの記事からはわからないのが残念。
というのも、あのフィッシャー・ホールで8型だったら
後ろの席の人には音が小さすぎると思うからだ。
それでもバロック的サウンドを思考しているわけだからやっちゃうわけだけど、
音量についての言及はないから大丈夫だったのかな?とも思し、
それならば音響改善策を最近また施しているのかなぁとも思うわけである。
そして『ほとんどビブラート無し』だそうである。
ヘルムートは『ビブラート完全に無し』は要求しないだろうからそれはそうだったんだろう。
それにしても、アメリカもようやくピリオド情報を使って演奏するのが
普通になりつつあるのだなぁと思う。
あの国は基本的には古楽運動に限って言えばかなり後進国だった。
それは今年になってようやくJulliardが古楽科を設立した事が端的に表している。
しかしローカルで頑張っている奏者は多く、
古楽器のコンサートそのものはとても多かった。
しかしオーケストラと言える体裁を持ったグループは非常に少なかった。
私がいた頃はNY Collegium(音楽監督はなんとアンドリュー・パロット)があったけど、
今この団体のウェッブ・サイトを見ると、
なんとシーズンの予定が2006-07までしか無い。
あとはワーク・ショップしかやっていないようだ。
そのような寒い状況のなか、ニューヨーク・フィルが行った事は特筆に価すると思し、
これを機に、モダン楽器奏者がピリオド情報を用いて演奏するという、
私にとっては嬉しい状況がさらに促進される事を願ってやまない。
それにしても、信じられないのはドイツ人指揮者たちである。
ヘルムートは今年75歳だったはずだ。
シンフォニーを相手にしている同年代・少し若い世代の指揮者達が基本的に
ピリオド情報を無視もしくは拒否しているのに、ノン・ビブラートだけでなく、
Mr. Rilling favored brisk tempos on Tuesday and the choir — distinguished by its precise diction, crisp articulation and control — sounded cleanly fluid even in the fastest passages. The transparency of their immaculate singing was boosted by carefully shaped dynamic contrasts.
”リリング氏はきびきびしたテンポを好み、合唱は発音の正確さと短くはきはきとしたアーティキュレーションとコントロールにより、どんなに早い箇所でも、クリアーで滑らかに歌った。一転の曇りもない透明な歌唱は注意深く造型された強弱の対比によりいっそう輝きを増した。”
という事である。
これはすごい事だ。
合唱においては通常は音・発声・発音などはまず音のまろやかさに献身し、
美しくブレンドされた音を目指すものであろう。
したがってヘルムートが目指しているものが何であるか明白だ。
まったく驚くべきことだと思う。彼の年齢なら、
フルトヴェングラーやワルター、クナやカラヤンや、、、、、
とにかく戦前世代の洗礼を受けたはずである。
それらが原体験であるはずだ。
原体験、すなわち刷り込みというのはなかなか厄介で、なかなか抜けだせない。
ムーティやバレンボイム、コリン・デービスなど近年の研究には興味ありません的な態度
である人々を尻目に、なんとまぁモダンなことだろう。
こういうモダンなベテラン指揮者に会うといつもドイツ人だ。
恩師であるハンス・ボイアーレ氏も、ブラレクでノン・ビブラートについて語った。
また今年の3月に聴いたロッチュ氏のマタイも、きびきびしたテンポが基本になっていた。
カール・リヒターでは考えられないようなテンポであった。
ドイツ人というのは、これが正しいと思えばあっさりと過去を捨て、すぐに新しいものを
吸収し我が物にしてしまうものなのだろうか。
ある意味ドライなんだろう。
しかし自分がしていることに対する情熱と集中力が異常に高い。
昔の演奏の録音を聞きつつ、ピリオド情報をファッション的に使う(勘違いが多い)
若い指揮者よりも遥かに吸収力が高く、音楽的なのは本当にすごいと思う。
精進せねば、、、、と思う。
そして最後になるが、ドイツ人指揮者とドイツの合唱団が招待され、
ニューヨーク・フィルと地元で演奏した事は意義深い。本当に。
なぜなら、ニューヨークはユダヤ人の町だからだ。
メサイヤではなくバッハのH-mollからクレドです。 はっはやい!
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