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翻訳

2015年7月27日 (月)

解説: 生者のためのレクイエム

以下は、
作曲家ダン・フォレスト氏のホームページ(danforrest.com)に掲載されている彼のRequiem fro the Livingの解説の抜粋翻訳である。抜粋箇所は、本ブログの筆者が任意で行った。翻訳のミスや、稚拙な日本語はすべて筆者に起因する。


全体としてこの曲は死者だけでなく生者にも安息(レクイエム)を求める祈りです。それは、「彼らに安息をお与えください」というよりも、「我らに安息をお与えください」、ということです。
曲全体は冒頭に提示される3つの音で構成されるモチーフによって強く繋がっています。例えば、第1楽章の展開部の基礎となっていますし、第2楽章(歌詞は用いていないものの、伝統的なDies Iraeを暗示しています)の伴奏形の音素材や、第4楽章の冒頭(明白ですね!)、そして下降音型がもう1音先に行き、目的地/ゴール(もしくは安息という言葉が望まれるかもしれませんが)に向かい始めます。第5楽章の再現部にあたる部分もこのモチーフで満たされますが、最後の最後にこの3音モチーフは下降せず、上昇する動きを見せます。それはあたかも、天国に到着したかのように。

第1楽章は、Requiem(安息)とKyrie(憐れみ)を求め祈る者の嘆きを吐き出しています。
存在する人類全てに共通する悲しみと格闘する嘆きを正面から見つめています。


第2楽章は、我々がいつも戦っている痛みの問題を身を切るように激しく表しています。痛みは、多くの人々の信念や信仰に危機をもたらしますが、
この楽章は、「何とむなしいことか、すべてはむなしい」という(旧約聖書の中の)伝道の書を反復し、怒りと苦しみの意味を解き明かします。
中間部はヨブ記を引用します。ヨブは聖書に現れる人物の中で、痛みの問題における最高の例です。それは彼が、その最も暗い(辛い)時には、「生てこなければ良かった」とさえ言ってしまうからです。

第3楽章は、伝統的な順番から逸脱して、Agnus Deiです。曲全体が持つストーリー性において、ここで私は、(前2楽章で示された)嘆き、痛み、崩壊などの全ての失敗から人類を自由にしてくれる神の小羊と出会う必要があるからです。

このストーリーに於いては、やはり神の小羊を認識した後で、遂にSanctusに向かえます。通常の典礼における順番では、SanctusはAgnus Deiの前奏曲となりますが、ここでは、返事となります。興味深いことに、この意味において、「天国と地球(大地)はあなたの栄光で満たされています」という歌詞を単に礼拝の瞬間としてだけでなく、痛みの問題に対する1つの聖なる解答として見るのです。もう1度ヨブ記を見てみましょう。痛みの問題に対する神の返答は、文字通り、「見なさい、私の創造の仕事を、私の超越するパワーと荘厳を!」です。
そして当然ヨブは、それを認識することによって、謙虚な気持ちを持ちます。ですから、ボーカルスコアのこの楽章の頭のところに、ヨブ記38章からの引用を載せました、「私が地の基礎を定めた時に、お前は何処にいたのか?…中略…星々が共に歌い喜んだ時に?」
というわけで、もうお分りかと思いますが、この楽章は天と地の奇跡(pleni sunt caeli et terra gloria tua)を痛みの問題に対する聖なる答えとして表現しています。私がSanctusのテキストにつけた音楽は、文字通り神の驚嘆すべき栄光を3つの場所で描写しています、すなわち、宇宙(ハッブル宇宙望遠鏡による超深宇宙領域の写真からインスピレーションを受けました)、宇宙を周回している国際宇宙ステーションから見た地球(YouTubeにある素晴らしい光(都市の、国の、河の、嵐など)の映像の数々!)、そして最後に人、神の驚嘆すべきイメージであり、天国の全ての奇跡よりも更に直接的に神の栄光を証明する人類です。
上記3つの思考が、この楽章の3つのセクションの源泉です。ハッブル写真のように霊妙なセクション、それから、「地球に降りてきて」で始まるもっと暖かいセクション、動きを伴いながら徐々に荘厳なっていきます。そしてそれから賑やかなエネルギーの最終セクション、生とメトロポリスのエネルギーに満ちた都市の中心に降り立ちます。そこにいるのは、神のイメージであり、天国そのものより偉大な神の創造物である人間なのです。

終楽章は端的に言って、安息や平和への到達になります。神からの永遠の光が、神を求める者に与えられるというだけでなく、今、ここで、この地球に生きる我々、生きとし生けるもののための安息(我らのレクイエム)が、神の中に見つけられるのです。私は意識してマタイ伝11章28節を引用しました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
なぜなら、これが入祭唱における安息の祈りへの答えだからです。キリストこそが、我々の安息であると。
そのために、英単語の「rest」と「Requiem」が同時に歌われるようにしました。スコアでご確認いただくか、演奏の時に聞いてください。テノーソロの終わりとともに合唱が、Requiem aeternamとラテン語で再び歌いだす箇所です。
そして言うまでもないことかもしれませんが、オーケストラの最後の上昇する3音はメタ動機であり、安息への祈りに対する音楽による最終的な答えです。そう、見つけたのです。遂に扉は開かれたのです。

2009年5月 3日 (日)

バッハ作曲「シャコンヌ」 解釈

21世紀の解釈:

バッハ作曲無伴奏ヴァイオリンによるシャコンヌの解釈について

レイモンド・エリクソン(Raymond Erickson)著

 ダンス(舞踊)がバロック期の音楽・社会において重要な役目を負っていた事は良く知られています。特にフランスにおいては特にそれが顕著であり、ダンスは劇場用のプロダクションにおいても不可欠なものとなっていました。しかしダンスの歴史研究(History of Dance)というのは新しい研究分野である事から、比較的最近まであまり我々のダンス・ミュージックの理解を深めるような研究結果は発表されていませんでしたしかし

Natalie Jenne and Meredith Little 共著

Dance and the music of J. S. Bach

(Indiana University Press, 1999; expanded 2001)

この特筆すべき本の出版により我々音楽家はバッハが知っていたダンスのキャラクター(性格)や振り付け等を知る事ができるようになりました。ここにはこれらのダンス・ピースを演奏する時にこれらの情報をどのように活用すべきかの提言も含まれています。このようなDance Historian(ダンス歴史学者)の研究成果によって、私はバッハの無伴奏パルティータBWV 1004ニ短調の最終楽章Ciaccona

(チャッコーナ)はダンス・ピースである事を第一義において解釈すべきである事を徐々に信じるに至りました。

   このモニュメンタルな楽章は通常はそういったダンス的な要素を鑑みられる事無く、抽象的なイメージのもと、変奏曲として演奏されますし、それが何世代ものヴァイオリン奏者達に受け継がれてきています。さらに言えばバロックヴァイオリン奏者にしても、多少速いテンポを採用する傾向があるものの、ダンスの要素を取り入れた解釈を示す事はありませんでした。上記の本の作者達すらも、Ciacconaにはダンスの要素は殆ど無いと言っています。

   しかし私は情熱的な生徒達と実験を重ねてきました。その結果はこの曲が複雑なテクスチャーと非ダンス要素等を含む多様性を持った曲であるにもかかわらず、この曲の最も基本となる要素は、フランスの舞台演奏で用いられたパッサカリア(The French theatrical passacaille)であると結論づけるのに十分な説得力を持っていました。ですからテンポやスタイル、アフェクトはその事を反映させるべきです。このような要素を取り入れた演奏は従来の演奏で聴かれるものとはまったく違ったものとなりました。

   まず我々はリュリ(Jean-Baptiste Lully)の影響の大きさを過小評価するのをやめるべきでしょう。リュリは18世紀からごく最近まで完全に忘れ去られていましたが、彼こそはヨーロッパの音楽史注もっとも強大な影響力を持った音楽家の一人でした。特にドイツ(バッハが住んでいた世界)ではこの事は顕著でした。フランス・スタイルの序曲やダンス曲の数々が物語っていますし、バッハもそれらを作曲し、また(言うまでも無い事ですが)ダンスの要素が取り入れられながらもダンスのタイトルが付いていない曲を数多く作曲しています。これらがドイツのプロテスタント世界においても、フランスの舞台芸術やダンスが大きな影響を及ぼしている事を証明しています。さらにバッハに関連して言うなら、強調したい事があります。すなわちバッハが無伴奏ヴァイオリンの曲を仕上げた時の雇い主であったケーテンの音楽好きな君主レオポルト候が1710-1713年行ったツアーの際に購入した品々のリストのなかで、唯一曲名等が表記されているのはリュリのオペラ「フェアトン」(Phaeton)だけなのです。これは1711年7月21日にアムステルダムで購入されています。この事一つとって見ても、如何にリュリが高く評価されていたか、そしてバッハの居たケーテンで高く評価されていた事がわかります。

   さて、リュリのパッサカリアの中でもっとも有名なのは歌劇「アルミーダ」Armide)からのものです。この曲をレオポルト候がオランダに滞在した六ヶ月の間に購入した楽譜のなかに含まれていたかどうかはわかりません。確かな事はその頃アムステルダムで出版された

Ouverture Chaconne & tous les autres Airs à joüer de l’Opera Armide par Mr. Luly

(リュリ氏のアルミーダから序曲、シャコンヌそしてアリア等)この楽譜をレオポルト候は知っていたという事です。しかしたとえ「アルミーダ」の楽譜をレオポルト候が持ち帰っていなかったとしても、「アルミーダからのパッサカリア」は当時のスーパーヒット曲でした。数々の出版や、オペラ全体のスコアも多くのコピーが存在していますし、さらに約30に及ぶ別の手書きのスコア、そして少なくとも6つの編曲版(チェンバロ用が多い)が存在しています。この編曲版のなかには、ダングルベール(D’Angelbert)による物が含まれます。1689年にパリで出版されたダングルベールの「クラブサンの為の曲集」

(Pieces de Clavecin)の中に含まれているのですが、この曲集バッハ知っていました。この曲集の中の装飾音の表を幾つかを彼自身の

「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの為の鍵盤曲集」

Clavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach)のなかで使っているからです。

   「アルミーダ」がバッハにチャッコーナを作曲させるインスピレーションで無かったとしても、両曲には共通する点があります。それは曲の大きな構成や下降短調テトラコード上の対変奏(Paired variations)、そして曲中に散りばめられている舞曲としての要素です。さらに 長調―短調―長調 という調性によるセクション分割もフランス音楽の特色です。私のようなチェンバロ奏者にとってはルイ・クープラン(Louis Couperin)のト短調パッサカリア(Passacaille)が直ぐに頭に浮かびます。ですからバッハがイタリア語のタイトルを使用し、幾つかのイタリア式変奏術を使用しているにもかかわらず、上記の特長と曲全体の印象が、この曲のモデルは17世紀のフランス・スタイルの曲であるという事を示しています。

   タイトルについて考える事は専門用語のパンドラボックスを開けるようなもので、アレクサンダー・シルビガー(Alexander Silbiger)がすでに幾つかの論文

articles)で論じています。(因みにシルビガーは「アルミーダ」をバッハは知っていたと感じているようですが、影響という点に関してはカンタータ第78番の可能性が高いと思っています)。シルビガーによれば、passacaglia, passacaille, ciaccona, そしてchacconeという用語は交換使用が可能でした。私はこれを論破するつもりはありません。しかし言い添えたい事として、リュリは習慣としてPassacailleとイタリア式Passacagliaを違うものとして認識していましたし、Passacaillechaconneとは違うものとして普通に認識していました。もう少し細かく言いましょう。リュリのオペラからの4つのPassaccaillesの内3つが短調です。

リュリ存命中の文献によれば、これらの曲は長調で書かれる快活なChacconeよりも遅いとあります。レベッカ ハリス-ウォーリック(Rebecca Harris-Warrick)は「フランス・バロック・ダンスの振り子によるスピード表示の解釈」Historical Performance 6/1, Spring 1993所蔵)のなかで以下のように語っています。「フランス(18世紀初頭の)では明確にこの2つのダンスにはテンポの違いがあり、シャコンヌは約2倍速かった」と。これらの違いを示すもっともドラマティックな例はシャルパンティエー(Charpentier)の曲、ミデー(Médééの中にあります。つまり、快活で長調で書かれたシャコンヌの後に遅い短調のパッサカリアがくるのです。さて以上のような理由からバッハのチャッコーナ(chaccone)の本質を言い表す単語はPassacailleだと思われます。勿論、チャッコーナ(Ciaccona)が2拍目から始まるというシャコンヌ(Chaconne)の特徴を持っている事は確かですし、リュリのパッサカリアは全て1拍目から始まるのも事実です。しかし私にとってこの事はあまり重要に思えません。なぜならかなりの数のリュリのシャコンヌは2拍目から始まらないからです。

   ではなぜイタリア語表記なのか?シビルガーがすでに証明している通り、用語の使用には柔軟性がありました。つまりCiacconaは選択可能な幾つかの単語の一つにすぎなかったのかもしれません。また鍵盤楽器のためのフランス組曲のクーラント(Courante)も、その作曲スタイルから言えばイタリア語のコレンテ(Corrente)のほうが妥当なのです。つまりバッハ自身この辺の用語の選択に関しては案外厳密では無かったように思われます。そして忘れてはならないのは、バッハのチャッコーナ(Ciaccona)はフランス・スタイルの舞踊組曲の一曲であるにもかかわらず、全体としてはパルティータというイタリア語で書かれたセットのなかに含まれているという事です。

   以上全ての事はバッハのチャッコーナ(Ciaccona)を演奏するに時に、大事な事を示唆してくれます。フレンチ・ダンスの調査によれば、リュリ式パッサカリア

Passacaille)のテンポは90-105の間でシャコンヌ(Chaconne)は

120-160の間だとしています。

(以下参照:〈Klaus Miehling著、「Das Tempo in der Musik von Barock und Vorklassk」、出版:Wilhalmhaven: Florian Noetzdel Verlag “Heinrichshofen Bucher,“ 1993〉と〈Alexander Silbiger著、「Chaconne」、ニューグローブ辞典改訂版〉)

しかしリュリのパッサカリア(Passacailles)は4分音符と8分音符がメインに使われ、ところどころ32音符が使われますがバッハのこの曲では、16分音符がメインに使われ、しかも32分音符も豊富に使われます。さらに言えば重音も頻繁に使われます。バッハの時代の教則本によれば、小さい音価(訳者注:16分や32分音符や64分音符)が多く使用された場合はテンポに自然なブレーキがかかります。つまりダンスとしてのキャラクターを残しつつこのチャッコーナを弾くとすれば、テンポは4分音符=86ぐらいになるでしょう。このテンポは実際のダンス・ミュージックのPassacaillesとしてはちょっと遅いですが、それでも通常とられるテンポよりは速いでしょう、少なくともオープニングに関しては。テンポのサンプルとしてCDから得られたテンポはイツァーク・パールマンの4分音符=38からトーマス・ツェートマイヤーの74(モダン・ヴァイオリン奏者)で、クリストフ・ポッペンの44からルシ・ファン・ダールの68(バロック・ヴァイオリン奏者)でした。(真のパッサカリア(Passacaillesテンポを採用するのは問題外なのは言うまでもありません。)しかしここで本当に検討したい問題はテンポではありません。そうではなく、如何に舞曲としてのキャラクターを、説得力をもって伝達するかです。その為にはまず、チャッコーナに対して深く抱かれている曲の意味、つまり厳格性や悲しみを宿した曲というようなイメージと、それに伴う非常に表現的なテンポの変動をやめ、エレガントな舞曲として軽やかで、一貫性のあるテンポで演奏する事が必要です。だからと言って私はこの曲のヴィルトオーゾパッセージに内包するダンス感を否定はしません。この曲も他の多くのバッハの曲と同じように、多くの要素が混ざり合って出来た独特の合成物だからです。ですからここでの問いは、一体どの要素がこの曲全体のキャラクターを決めるのかという事です。

   私はチェンバロ奏者ですから、ピリオド楽器と演奏する事を好みます。しかしモダン楽器に研究の成果であるバロック時代の演奏習慣(ピリオド奏法)が使えないわけではありません。実のところ私がここで論じている事は、バロックヴァイオリンを(殆ど)弾いた事がない生徒との共同作業を通して発展したのです。現代のトルテ弓(1790年頃より現れます)は本当に素晴らしい道具(tool)なので、バロック弓で自然に得られるアーティキュレーションも、トルテ弓で得ることが出来ます。モダン楽器の奏者がそのような方法を取る事を考えてこなかっただけの話です。しかし優れたヴァイオリン奏者が練習をするならば、旋律線(the musical line)を重い下げ弓と軽い上げ弓を用いて拍節感の区別つけて発音できるようになります。音量の為の音量という呈の大音量で弾く事をやめれば無駄な緊張は和らげられます。バッハのアーティキュレーションの指示を本当に忠実に再現すれば、自然な結果としてリズムの魅力が立ち現れます。そしてビブラートの過度の使用はスタイル的に不適当であるだけではなく、テンポを遅くさせる傾向にあります。まったく使用しない方が良いでしょう。しかしビブラートを使用しない場合は弦も何とかしなければならないでしょう。現代のスティール弦の固い音はビブラートによって美しく響くようになるからです。ですからガット弦の使用をお勧めします。全部でなくても結構ですがその場合は特にEA線への使用を推薦します。D線とG線用には(ガット弦でなければ)オブリガート」(Obbligatoいう名前の新しい合成弦が売られています。ガット弦の良さを持ちつつスティール弦の悪さを排除した弦です。しかし誤解しないでください。一番大事なのはどの楽器・道具を使うかではなく、どのように弾くかです。

   最後に、ダンス歴史学者と仲間のダンサー達に感謝を捧げます。そしてフランス・バロック音楽特有のスタイルとその豊穣さを我々に気づかせてくれた音楽学者達と失われた過去の演奏技術を復活させた演奏家達にも感謝します。私達はこの偉大な曲、バッハのチャッコーナを、21世紀において20世紀に解き明かされた新しい知識を持って再解釈するポジションにいるのです。確かにそれは過去に深く根ざした伝統をあきらめる事になるでしょう。しかし伝統とはなんでしょうか。

シェーンベルグがルーカス・フォス(Lukas Foss)に言った言葉を引用させてください。

「伝統とは我々が愛すると同時に、断念しなければならない故郷である。」

      (Tradition is a home we must love and forgo

訳者あとがき

本稿は2003年春のアメリカバッハ協会ニュース・レターに掲載された論文

Toward a 21st-Century

Interpretation of Bach's Ciaccona for Solo Violin, BWV 1004/5

の翻訳になります。

著者のErickson教授のご許可を頂き、翻訳しました。

Erickson教授は現役のピアニスト・チェンバロ奏者としてアメリカのみならず、

ドイツでもリサイタルを数多く行っています。また当然の事ながら本稿のチャッコーナに

ついてのレクチャーや、モダン楽器によるピリオド奏法のマスタークラス等も行っていま

す。

Aaron Copland School of Music, Queens College CUNY

及び

CUNY Graduate Center

で教鞭を取られております。

あとがき2

翻訳とは難しいものだと思いました。直訳すれば良いわけではないという事はわかっていたものの、では何処まで意訳するのかという線引きが難しかったです。
結局なるべく直訳しつつ、どうしても意味不明になるところだけ意訳しました。その為、読みやすく無い文章となってしまいました。勿論私の文章力の欠如が問題である事は言うまでもありません。
誤字・脱字についてはわたしの責任であります。
ご指摘頂ければ修正いたしますので、ご一報ください。
日本語として読みやすい論文にするための編集を随時行っていくつもりです。

2009年4月25日 (土)

翻訳されるべき本

昨日あの名著

C.Brown "CLASSICAL & ROMANTIC PERFORMING PRACTICE 1750-1900

を要約・翻訳されている方のブログを拝見した。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/cbrown-7640.html

これはとんでもない事である。

すこしでもピリオド情報に興味があるのなら、読んでいただきたい本であるのだが、

如何せん、本がでかい事もあり、翻訳も情報満載のため相当時間がかかると思われる。

私は心から応援するぞ!

そうこうするうちに、そういえば、日本語になってない(確認できない)素晴らしい英語の本があるなぁと思い立ち、列挙する気になった。

以下の本は、勿論上記の本も含めて、私がお世話になった(ている)本で、

翻訳されるべきと思うものです。

ただ、思いつきで書いているのいずれリストは大きくなっていくでしょう。

Dance and the Music of J.S Bach (Expanded Edition), Meredith Little and Nalie Jenne著

The Essential Bach Choir, Andrew Parrott著

Beethoven on Beethoven, William S. Newman著

Dvorak to Duke Ellington, Maurice Peress著

Elements of Sonata Theory: Norms, Types, and Deformations in the Late-eighteenth-cnetury Sonata, James Hepokoski, Warren Darcy共著

Introduction to Post-Tonal Theory, Joseph N. Straus著

Phrase Rhythm in Tonal Music, William Rothstein著