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R.Schumann

2010年4月15日 (木)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81(完) 序曲について

下記で序曲のスコアを閲覧できます。

http://imslp.info/files/imglnks/usimg/0/02/IMSLP52452-PMLP22451-Schumann_op.081_Genoveva_Overtuere_fs_RS6.pdf

冒頭弦楽器とホルンがGだけで演奏します。

しかし2拍目に和音になりますが、なんと9th chordです:G-Bb-D-F-Ab

静かに入って1st Vnが4拍目にsfppでAbを。管楽器も短い<>で一瞬和音を強調します。

G-Abの衝突は一瞬とすべきでしょうかそれともはっきりと聞き苦しいソノリティを残すべきでしょうか。

それにして冒頭にいきなり9th chordをもってくるなんて、、、

ベートーベンが第一交響曲をdominant 7thで始めるというかなり破天荒なことをしたのが1800年。

「ゲノフェーファ」は1850年。50年という年月は語法が変わるのには十分な時間なんだなぁ。。。

さてこのG-Abによって生み出されたテンションは2小節目の最後で1st VNがAb-Gと弾いたところで一息つける

程度に軽減されるわけですが(軽く解決した感じ)、実はまだ終わらない。

4小節目のチェロのDbがバス線のCとぶつかっているのは言うまでもありませんが、

6小節目のやはり1st VNをご覧ください。

再びAbです。しかし今回はDb Majorの上ですから協和音、

しかし次の小節では真性のアポジャトゥーラになります。

私見ではこのAb→Gというモーションがこの最初の7小節の緊張感を持続していると思います。

言ってみればAbは演奏されていないときでも存在し、7小節目の2拍目でついに解決したのです。

7小節間にわたら大きな「ため息」という感じでしょうか。

勿論さらに詳細に見れば短2度の存在が目を引きます。

第5-6小節のクラリネットと1st VNを見てみましょう。

クラリネットが半拍先行する形で1st VNと同じメロディーを吹きます。

特に6小節目はクラリネット先にAbに行き、半拍遅れてVnがつづきます。

つまり一瞬G-Abが同時になります。

そしてG→Abという「逆ため息」が発生します。

ここをはっきり聞こえるように演奏する事でAbの緊張を思い出させる効果があるでしょう。

話が細かくなりすぎました。Ab→Gに関してはもう一箇所だけ見てください。

それは26小節目です。

さてこの項はシューマンの痛みをどう表現したかでした。

あと一つでけお付き合いください。

まずはごらんになっているPDFだと6ページの最後の小節からになります。

とりあえずオーボエとフルートを追っかけましょう。

C-G-Bb-Ab-F-F-Ab-G-F#-G-Ab-A-Bb

ですね。

さて同一箇所の1st VNをご覧ください。

C-G-Bb-Ab-F-F-Ab-G-F#-G-Ab-A-Bb

まったく同じです。

しかしリズムが違う。

3連符一音分ずれてます。

これは正直かなり気持ち悪いですし、演奏効果としても良いとは思えません。

しかし、、、、

このような「ずれ」こそが、何かを物語っていないでしょうか。

もっとお話できることはありますが、あとは企業秘密という事でお願い致します。

では。。。。

2010年2月 7日 (日)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81④序曲について③

結局この序曲は何を表しているのだろうか?

この序曲に現れる旋律や音楽は本編ではほとんど使われない。

単なる序曲にすぎないのだろうか。。。。

何の機能もないのだろうか。。。。

これに対する答えはオペラの筋そのものにあった。

『ゲノフェーファ』というオペラは『痛み』のオペラだと思う。

序曲の後、コラールが入り、まずゲノフェーファと彼女の夫であるジークフリートの別れで物語は始まる。

二人にとっては、ジークフリートが赴くの戦場である以上、今生の別れかもしれない。

次に来るのは不倫願望を持ったゴローの痛みである。

彼は悩むのだ。

主人の妻を愛すること、それは裏切りを意味する。

してはならないと思いつつも、抑えられない感情。

ゴローがゲノフェーファに懇願するシーン等は哀れだ。

このように、『痛み』の鎖が紡がれていくのがこのオペラなんだと思う。

そして序曲はその『痛み』の物語に対処できるよう、我々に用意を強いるのだ。

その為にシューマンが取ったのは、

序曲において行った事は、

『痛み』を表現しそれを昇華する事だった。

次回はそれがどのように行われているのか考えてみたい。

2010年2月 3日 (水)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81③序曲について②出会い②

あの時はスコアも持ってなくてただひたすらリハーサルを聴いていただけだった。

しかし冒頭弦セクのGユニゾンが心に直接迫ってきてもう駄目だった。

完全にノックアウトでもう終わりまで夢中で聞いたっけ。

その時のインパクトの大きかった事。

それ以来、演奏したくてしょうがなかったんですよ。

だから今回ようやく指揮できてとても嬉しかったけど、さすがにシューマンでした。

一筋縄ではいかない難しさというか面白さがありました。

こうやってリハーサルを経てみて初めてわかった事がたくさんありました。

ザルツブルグで感じた『かっこいい!!』っていう印象は

自分が未熟だったから『それしか』気がつかなかったって事だったんだなと。

2010年1月29日 (金)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81②序曲について①出会い①

先日流山フィルで演奏させていただいた曲でした。

お話を頂いたときに真っ先にお願いした曲でした。

今年がシューマン生誕200年という事は頭にはありましたが直接的な動機ではありませんでした。

私はこの曲をやりたくてしょうがなかったのです。

この曲をはじめて聴いたのはたしか、、、モーツァルト・イヤーの前の年だったはず、、、、?

まぁいいや。

あの年、私は奨学金が出たのでゲーテでドイツ語を勉強するためにアメリカを旅立ち、ドイツのフライブルグに

一ヶ月滞在したのだった。

そしてちょうどゲーテの初日の直前にザルツブルグでカメラータ・ザルツブルグとコンサートをするらしかった

サー・ロジャーを尋ねたのだった。

ザルツブルグ・フェスティバルでのコンサートでオール・シューマン・プロのリハーサルにお邪魔したのだったっけ。

あの時が『ゲノフェーファ』との出会いだったなぁ。

to be continued.....

2010年1月 8日 (金)

シューマン作曲:オペラ『ゲノフェーファ』作品81①

ロベルト・シューマンが書いた唯一のオペラである本作品は序曲こそ演奏されるものの、

オペラそのものはめったに上演されない。

オペラ全曲の録音も少なく、

CDではアーノンクールの輸入版が手に入れやすいくらい。

DVDも一つしか知らない(これもアーノンクールの指揮、オケは別)。

しかし序曲は別で、色々と録音もある。大好きな曲だ。

あらすじは大変申し訳ないが、ネット上で探していただくとして、

なぜあの19世紀孤高の天才、今年目出度く200歳になるシューマンのオペラが

人気がないのか、音楽の面から考えてみたい。

最大の問題点は『華』の部分が無いことだろう。

したがってメリハリに欠ける。

最初の70分の間に聞かせどころとなるようなアリアの2つくらいはあっても良いのだが、

ない。

いや、アリアやデュエットはあるにはあるのだが、

それはなんというか、、、、

あまりに内向的というか、

盛り上げる事を考えてないというか。

ハイCで絶叫!みたいな見せ場も無い。

美しいか?と問われれば、YESなのだが、

では思い出せるか?と問われれば、NOになってしまう。

リートの世界に寄りすぎと言えば良いのだろうか。

ちなみこのオペラの一番最初の音楽、序曲が終了し本編が始まるときに流れる音楽は、

コラールである。

初めて聴いた時は度肝を抜かれた。

こらーる!!!

バッハのカンタータじゃぁあるまいし、オペラにコラールって、、、しかも冒頭に。

あえて言えば、このコラールがこの後くる音楽すべてを象徴しているのかもしれない。

シューマンが言っているかのようだ、

『いかにもオペラ(イタリアオペラ)みたいなものは来ませんよ。

それはドイツの精神性に反するからね』と。

コラールによって生み出されたある種の厳粛性がペダルトーンとして常に、

オペラ全体を貫いているようだ。

したがって、 アリアが終わったところで拍手を入れるを一瞬躊躇してしまうのだ。

オラトリオを聴いているかのようだ。

ワーグナーの音楽なら、メリハリなど無くても、

圧倒的なパワーで持っていかれる。

シューマンにはそれもない。

あくまで繊細な音楽の集まりだからだ。

第2幕の終わりはオペラティックで緊張度も高い。

そして第3幕第一場はそれまでのが嘘のように、オペラ的充実度は高く、

この作品の白眉と言って良い。

しかし待たされすぎだ。

ここまで来るのにすでに1時間以上経っている。

全体のほぼ半分だ。

そして、全編を通じてやはり、

暗いなぁ~。

第4幕第1場のゲノフェーファのアリアは本当に美しい。

ここには恍惚とした響きが、、、、

そしてエンディングだが。

なんと神への賛美とコラールで終わるのだ。

いや、それは正しくない。

一応、最後はゲノフェーファと主人ジークフリートを褒め称えて、景気良く終わろうとする。

しかし、私の耳には、それは本当に取って付けたように響く。

コラールで終わればよかったのではないか?

そうあれば、このオペラが実は、劇的オラトリオであると納得もされように。

そのような聖なるものへの参加として聴けば、

これほど美しい曲はそうそうあるものではないのだが。

ヴェルディやプッチーニ、ロッシーニをオペラの基準とすれば、このオペラは

退屈である。

YESである。

しかし、目の前になる音楽を虚心になって聴けば、

その美しさ、

うちに秘めた強さ、

細やかに表現された心のひだを聴き取れる、感じ取れるはずだ。

第2幕より

これだけ聴くと本当に美しいと思うのだが、、、、、